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安倍首相が直面する「外交難題」

 「もう一度オバマがなれないものだろか」(井戸端文士)――。『毎日新聞』朝刊3面の「万能川柳」を愛読している。森羅万象をエスプリにまぶし「5・7・5」で包んでいる。略して「万柳」と言われる。前出の万柳のように、日本でのトランプ米大統領の評判は芳しくない。国家非常事態宣言まで発動して国境の壁予算を捻出する強引な手法が「怖い人」「妥協を知らぬ人」のイメージを増幅させている。日本で「トランプ氏が再選されると思うか」を訪ねると、5人に4人は「再選はない」と答える。

 ところが、米国ではトランプ再選はあり得る、との見方は根強い。選挙制度が影響している部分がある。2大政党制で60%ぐらいの投票率なら、絶対に投票へ行く熱狂的支持者が30%いれば再選は可能になる。トランプ氏の全米支持率はこのところ40%を超えている。熱心な支持者も多い。この物差しでみると、トランプ氏は再選のために内政でも外交でも妥協する必要がない。支持者をしっかり固めることが第一義となり、公約の遂行が重要となる。

 20世紀を通して超大国だった米国の政治は「分かりやすく」て「分かりづらい」。俳優でも不動産屋でも大統領になれる自由と平等が根付いている。俳優出身大統領は周りに優秀な人材を揃え、自分は口出しせず任せた。結果オーライだった。不動産屋大統領は何でも自分でやらないと気が済まない。反対する者は更迭される。更迭された一人、イエレン前FRB議長はラジオで「トランプ大統領が経済政策を理解しているか疑わしい」と「国家機密」まで暴露してしまう。言論の自由こそ民主国家の財産である。

 その「経済が分かっていない」大統領は2月27〜28日、「あまりにも揃い哀しいマスゲーム」(竹とんぼ)の国の首領とベトナムで会談した。世界中からサミット取材並みの報道陣がハノイに集まる政治ショーとなった。北朝鮮が非核化で具体的措置を取れば、米国は経済支援の凍結緩和を打ち出す。日本は拉致問題を抱えている。米の緩和に同調せず凍結を継続する方針だ。

 ことほど左様に、世界中いたる所で日本が関心を向けざるを得ない交渉が進行中だ。日露交渉、日米貿易交渉、米中貿易交渉、さらには英国とEUの離脱交渉――。経済が国境を越えてグローバル化した現在、交渉の結果次第で火の粉は日本に飛んでくる。本稿では、外交を中心に書いてみたい。

 まずは安倍晋三首相が執念を燃やしている日露交渉だ。安倍氏は在任中に北方領土の2島返還プラスαと平和条約締結を目指している。1月22日モスクワで25回目の安倍・プーチン会談が行われた。日本のマスコミ論調は概ね「進展なし」だった。共同記者会見で安倍氏が「戦後70年以上残された課題の解決は容易ではない」と語ったことを根拠にしている。その2カ月前の18年11月14日に語った「戦後70年以上残された課題を次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つ」に比べると、確かにトーンダウンしている。

 実際はどうだったのか。交渉事は外部からうかがい知れないところがある。記者会見で「目くらまし」をかけ、事実はより前進していることだってあろう。安倍氏周辺からいまだに「悲観的」「絶望的」言質は取れないのだ。もちろん内実までは明かしてくれないが、日露をぶつけると「うっふふ」みたいな含み笑いが返ってくる。むしろ楽し気な素振りである。ただ、ここで想像の羽を広げるのは止めよう。ファクトだけを記す。

 首相専用機がモスクワに到着すると、ロシアのアントン・ワイノ大統領府長官がタラップを登って機内まで安倍氏を出迎えた。通例では見られない歓迎シーンである。少人数会合が始まった途端、ハプニングが起きた。以後の経緯は「インサイドライン」(1月10・25日合併号)でも触れたので端折ってリポートする。

 プーチン氏は安倍氏を促して、自らの執務室に案内した。クレムリン内でプーチン氏が外国の首脳と会談する部屋は、外壁周りの内側にある大統領応接室である。その隣にある豪華なホールは少人数の夕食会や全体会合の場になる。ところが、この日の会談はクレムリン奥にある元老院の建物で行われた。両首脳のテタテ会談は50分だった。

 実は、大統領執務室へ招き入れられた外国首脳は安倍氏が初めてだった。駐ロシア大使を含め日本政府で大統領執務室の場所を知る人は皆無だった。安倍氏が大統領執務室に滞在した時間は5分間ほど、そこで何が話されたかは同行メンバーに一切言わなかったという。日露交渉はデリケートだ。小さなファクトが大きなことを意味することもある。半面、ロシア国内のナショナリズム台頭と世論の動向からすると、プーチン氏は領土問題で日本に譲歩したとみられることを気にせざるを得ない。強権の大統領といえども、政治家である以上ポピュリストの因子を持つ。

 日本では、行きつ戻りつのように見える展開に「壮大な無駄の積み上げ」との声も上がる。だが、はっきり言えることがある。安倍氏は「政治家として自分にしかできない」と悲痛な決意を持って交渉に臨んでいる。これだけは周辺のだれもが認める。「戦後政治で残された最大課題の解決」を7月国政選挙の手土産にするなら、6月30日に予定されている26回目の日露首脳会談がそのデッドラインになる。

 米中交渉に目を転じよう。交渉の先行きが世界経済に与える影響は計り知れない。すでに各国とも米中貿易戦争のあおりをもろに受けている。日本が一番割を食っているかもしれない。財務省の貿易統計によると、今年1月の単月だけで1兆4000億円を超える赤字を出した。日本電産の永守重信社長は「尋常ではない変化が起きた。46年経営を行ってきたが、月単位で受注がこんなに落ち込んだのは初めて」と嘆き、19年3月期の純利益を前年同月比14%減に下方修正した。

 永守氏の指摘を待つまでもなく、中国経済の減速は深刻なレベルになっている。日本の対中輸出はモーターを始め、工作機械、半導体だけでなく、乳酸飲料のヤクルトやオムツの日用品に至るまで激減している。中国の最大民営投資会社「中国民生投資集団」の社債がデフォルトしたという情報もある。米国もまた対中輸出を実質的に制限したことで総輸出額が減るという事態に直面している。

 トランプ氏の関心はただ一つ、対中貿易の赤字削減額の数字だけだ。一方、習近平国家主席は「過剰譲歩」と共産党内から批判を受けない程度の対米黒字削減と対米輸入の増加を打ち出す必要性は理解しているようだ。従って貿易交渉に関してはソフトランディングするという見方が強い。しかし、テクノロジーを巡る覇権争いは、どちらも一歩も引かない。トランプ氏は、対中戦略全体について強硬派のナバロ大統領通商担当補佐官に依然信を置いている。ハイテク領域で世界ナンバー1を目指す習氏も「中国製造2025」の御旗を降ろすつもりは毛頭ない。こちらの土俵は、立ち合いでにらみ合ったままで動く気配がない。

 日米貿易交渉と「ブレグジット」については簡単に触れたい。

 日米貿易交渉の米側全権はライトハイザーUSTR代表に与えられている。今後の交渉で、米側が「数量制限」や「為替条項」を持ち出すのではないかという心配が日本側にあったが、どうやら展開は違うとの見方が浮上している。ライトハイザー氏と日本側とのパイプは良好な状態でつながっており、当事者の一人は「落ち着くところに落ち着く」との見通しを語っている。しかし、経産省など経済官庁のトップは楽観視できないと言う。

 米中交渉も悩ましいが、ブレグジットの先行きの方が日本経済にとって深刻だという声が財・官界にある。日本の自動車を含め工業製品の対EU輸出のサプライチェーンは英国を拠点にしているからだ。いち早くホンダが英工場を閉鎖するのを始め、日産も英国工場での生産計画を撤回した。紳士の国がまさか破天荒な振舞いをしないだろうと淡い期待を寄せているものの、裏切って「秩序なき離脱」に踏み切ればリーマンショック級の経済的ダメージになると予測する向きは多い。ここにきて離脱延期説が強まり、関係者は成り行きに一喜一憂している状態だ。

 締めも万柳でいこう。「官邸に立っていそうな星条旗」(小藤正明)――。某国の首相がかの国の大統領をノーベル平和賞候補に推薦したのには驚いた。思わず「今日はエイプリル・フールだったか」と勘違いしてしまった。だが、冷静に考えてみれば、さもありなん、である。

(2019年2月28日)