先週、韓国映画「KCIA南山の部長たち」を観た。 韓流スターとして日本でも名高い李(イ)炳(ビョン)憲(ホン)が、韓国中央情報部(KCIA)第8代部長の金(キム)載(ジェ)圭(ギュ)を演じている。 首都ソウル市の南側に小高い南山があり、そこに同部南山庁舎があったことから、当時の韓国民はKCIAを「南山(ナムサン)」と呼んだ。
朴(パク)正煕(チョンヒ)大統領(当時)は1979年10月26日午後7時40分、市内鍾路区の宮井洞にあった接宴所(大統領専用の秘密宴会場)で会食中、宴席を共にした金部長によって射殺された。 「10・26朴正煕暗殺事件」までの40日間を描いた秀逸のドキュメント映画である。 朴独裁政権下の情報機関を率いた金載圭と大統領警護室長の車(チャ)智澈(ジチョル)の間の権力抗争もあった。だが朴暗殺のトリガーとなったのは、その2年前の6月に米国亡命中の第4代部長の金(キム)炯(ヒョン)旭(ウク)が米議会下院フレーザー委員会で爆弾証言を行ったことにあった。 朴政権に果敢に挑戦してきた金(キム)大中(デジュン)(元大統領)の拉致事件(73年8月8日)はKCIAの仕業であると証言したのだ。 ▶︎
▶︎さらに金炯旭は、61年5月の軍事クーデターで権力を奪取した朴正煕に纏わる「秘密」を暴露する回顧録を準備していたことから、朴正煕の命令で訪問先のパリで殺害されたのだ(注:廬(ノ)武鉉(ムヒョン)政権が05年5月に公表した「金炯旭失踪事件調査結果」で断定している)。
まさに朴暗殺直前79年10月7日、金載圭の指示で同地駐在KCIA要員によって殺害されたのである。映画でもそのシーンが描かれている。 では、なぜ筆者が取り上げるのか。もちろん、理由がある。 筆者は金炯旭とは浅からぬ縁があり、77年7月から2年弱の間に7回、ニュージャージー州アルパインの自宅でインタビューしている。 『週刊ポスト』(77年8月15日号)に「金炯旭元KCIA部長が衝撃発言!金大中の次は私が殺られると思った」と題して掲載した。80年12月には『権力と陰謀―元KCIA部長の手記』(合同出版)出版のプロデュースもした。 まさに金炯旭は自身が語ったように、KCIAに「殺られた」のである。 映画原作の邦訳『実録KCIA―「南山と呼ばれた男たち」』(講談社)が出版されたのは94年8月。
そして筆者が長編記事「『KCIA元部長暗殺指令』26年目の真実」を『月刊現代』に寄稿したのは16年前の05年11月だった。 永いジャーナリスト活動の中で、「南山」とはこのような因縁があるのだ。