3月20日号「首相の政治的思惑と『悲痛の叫び』ー菅氏が本格政権を目指していないはずがない。が、そこにはリアリティがほとんどない」

最近、衆参議院予算委員会の首相答弁や首相官邸でのぶら下がり会見をテレビニュースで見ていると、菅義偉首相のしかめっ面が多くなったことに気づく。心なしか顔がムンクの『叫び』に似てきたと感じる。その印象を絵画に造詣が深い知人に語ったところ、「いや、今の菅さんはピカソの『泣く女』ではないか」と言われたその理由は後述する。
 現在の菅官邸は1都3県の緊急事態宣言期限の再延長など新型コロナウイルス感染対策や、底無し沼状態にある総務省幹部接待疑惑への対応などで機能不全に陥っている。なすことすべてが後手に回るのにはもちろん理由がある。一に懸かって菅首相の政治手法に起因するのだ。 
 窮地に陥ってもツキにも恵まれて乗り切った安倍晋三前首相は体調不良で途中降板した。跡を継いだリリーフの菅投手の出だしは良かった。しかしその後、全員野球を無視した唯我独尊的な独り相撲で打たれ出した。ツキにも見放されたようだ。 世間では、こんなことが言われている。「菅首相とかけて何と解く。作業衣と解く」。その心は「ツナギにスガる」というダジャレである。ツナギの投手がこのまま9回裏まで持ち堪えるのかどうか。自らは暴投・死球を乱発、チームメートも失策を重ね、かなり怪しくなってきた。  
 こうした中、カレンダーが捲られた3月1日午前、東京・永田町の衆参院議員会館の自民党所属国会議員各部屋の郵便受けにA4判の紙1枚が投げ込まれていた。「総選挙前に党則第6条1項(総裁公選規程)に基づく総裁選挙の実施を求める会」名義で、自民党総裁選挙告示・投開票日、臨時国会において首班指名、党役員人事・組閣、衆院解散、総選挙公示日・投開票日の日程が書かれていたのだ。永田町ではこの種の紙は「怪文書」扱いされる。しかし日程を具に確認すると、そこにはリアリティがあるので驚く。 《9月7日:自民党総裁選挙告示、20日:同選挙投開票日(総裁決定)、22日:臨時国会において首班指名選挙(総理大臣選出)、自民党役員人事、組閣、27日:衆議院解散、10月12日:衆議院議員選挙公示日、24日:衆議院議員選挙投開票日》。 
 さらに10月21日の衆院議員任期満了まで臨時国会を開会し、同日に解散した場合、解散から40日以内に総選挙が行われることとなり、一番遅い公示日は11月16日、投票日が28日とも書かれている。早期衆院解散・総選挙の可能性がなくなった現在、菅政権が直面するのは、①コロナ収束の見通し②東京五輪・パラリンピック開催の可否③日本経済の先行き④内閣支持率の推移⑤日本を取り巻く厳しい国際情勢―である。 新型コロナウイルスの新規感染者の減少が見られるものの、変異株ウイルスの脅威もあり、先行接種を開始したワクチンは副反応の疑いを含め有効性に疑問符を付ける専門家もいる。それにしても、感染防止の切り札と期待されるワクチンの接種率は主要7カ国(G7)の中で最低である。▶︎

▶︎国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長、国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長、丸川珠代・五輪相、小池百合子・東京都知事、橋本聖子・五輪組織委員会会長の5者会談が、3月3日にオンライン形式で開かれた。東京五輪開催を改めて確認したが、海外客の受け入れは困難の見方でも一致した。その背景には世界各地で新型コロナウイルス感染拡大が依然として続いていることがある。 
 たとえ日本が水際作戦でコロナ封じ込めができたとしても、各国選手団の派遣には不安が残り、東京五輪は「無観客」を含む各種制限下の開催になるということである。そこには五輪主催IOCのバッハ、開催国日本の菅両氏の政治的思惑が色濃く反映しているのだ。IOC会長再選を目指すバッハ氏は、テレビ中継の独占権を有する米NBCの意向に従わざるを得ない。最大のスポンサーであるからだ。一方の菅氏は、今秋に控える自民党総裁選と衆院選を視野に入れて今後の政権運営と自身の進退も考えなければならない。 
 では、肝心要の菅氏の政治的思惑とはどのようなこなのか。待ち受けるのは与野党激突の千葉県知事選(3月21日投開票)、保守分裂の秋田県知事選(4月4日)と福岡県知事選(同11日)、そして自民党2戦2敗・1不戦敗が確実な3つの衆参院補欠選挙(同25日)だ。自民党地方組織の選挙マシン劣化が白日の下に晒されて、党執行部への責任追及が噴出して党内に鬱積する二階俊博幹事長批判が表面化するのは不可避だ。通常国会会期中でもあり、「菅降ろし」までには至らない。問題は菅氏の求心力の低下である。それは、即座に先述の「紙」にあった総裁選と総選挙に多大な影響を与えるからだ。 菅氏の頭の中では次期衆院選だけではなく来夏の参院選が大きなウエートを占めている。参院過半数割れによる「衆参ねじれ」再来は09年8月の政権交代という悪夢を呼び起こすのだ。 
 菅氏がひそかに本格政権を目指していないはずがない。かなうのであれば、コロナ収束に漕ぎ着けたうえで東京五輪も成功裏に終えて、その後の自民党総裁選での無投票再選を経て、衆院任期満了前に自らが衆院解散・総選挙を断行するシナリオを実現したい。
 しかし、そこにはリアリティがほとんどない。おそらくは五輪後に「なすべきことはなした」と退任し、人心一新を掲げて党則どおりの総裁選を実施する。そして「河野太郎首相・小泉進次郎官房長官」の顔で総選挙に臨む絵を描いているのではないか。そうであっても胸中は苦渋に満ちているはずだ。四面楚歌が聞こえる沈みゆく小舟の中で仁王立ちする菅氏の目はあらぬほうを向き、表情は悲痛の叫びを上げるピカソの『泣く女』そのものである。