8月21日号「皇室を『観光資源化』する菅氏の真意ー皇室の財産を国民に広く公開することに意義はあるが、狙いはそれだけか」

ともあれ、第32回夏季五輪東京大会は8月8日に終わった。すなわち、菅義偉首相が執着した「安心・安全に終える」ことはかなったのだ。ただ、想起すべきこともある。それはコロナウイルス禍のなかで行われた7月23日の開会式での「出来事」である。 56.4%の高視聴率(ビデオリサーチ調べ)だった開会式セレモニーをテレビ中継で見ていた読者は多かったと思う。だが、視聴しながらも違和感を覚えたのではないか。 
 大会名誉総裁である天皇陛下は同日午後11時13分、「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」と、14秒の開会宣言を発せられた。 ところが起立された天皇がお言葉を始められたのに、左隣に着席する菅首相は起立しなかった。 その左隣の小池百合子東京都知事が瞬時、気付いて菅氏に目配せして両氏は二拍遅れで起立したのである。 この映像を目の当たりにした国民、とくに若い世代が翌日未明からSNS(交流サイト)に「陛下とともに起立すべきだった」「不敬ではないか」と批判の書き込みを始め、そして炎上した。 
 では、なぜこうした事態が出来したのか。その理由をさぐってみる。天皇臨席・お言葉など皇室プロトコル(一般皇室行事を含む)に関する所作について関係者は事前レクチャーを必ず受ける。「式次第」も配付される。今回の開会式においてもA4判1枚の「式次第」が菅、小池両氏のほか、橋本聖子大会組織委員会会長、丸川珠代五輪担当相らプレジデンシャルボックス着席者に配布されていた。しかし不運というべきか、天皇の開会宣言直前のトーマス・バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長の13分の長広舌があり、しかもその締めに日本語で「陛下、どうぞ」と述べたことから、天皇は直ちに起立された。時・分・秒刻みで予定が記述されていたその「式次第」には、バッハ会長あいさつに続いて天皇の開会宣言があり、場内アナウンスで起立を求めると、赤字で書かれていたのは事実である。
 大会組織委員会は27日の記者会見で「バッハ会長が陛下に開会宣言を促す形となり、起立をアナウンスするタイミングがなくなった」と説明、その結果、近くに座っていた菅氏らは宣言が始まってから起立したというのだ。それが事実であろう。官邸側は「首相に非はない」とするが、それでもアナウンスの有無と関係なく、天皇の起立とともに立ち上がることは「常識の範囲内」との指摘が永田町と霞が関では圧倒的多数だった。ここで筆者が思い起こすのは、菅氏が観光立国推進の旗振り役の官房長官時代に進めた皇室の「観光資源化」政策である。 皇室所管大臣でもあった菅氏は、そもそも2014年4月に天皇(現上皇)陛下傘寿(80歳)の記念に宮内庁が企画した桜の時期(春季)に実施した皇居「乾門通り抜け」を翌年から紅葉の時期(秋季)も含め通年化に踏み切った。初年度春には5日間で40万人近くが押し寄せたことからもインバウンド政策に大きく寄与したのは事実だ。 ▶︎

▶︎16年4月には、迎賓館赤坂離宮についてもそれまで夏季の10日間限りだったのを通年の一般公開にしている。コロナウイルス感染拡大前のことだが、迎賓館ツアーが盛況となったのは「成果」といっていい。さらに18年11月から京都市西京区の「桂離宮」の庭園散策、茶室や書院の見学など参観ツアーは有料化された。この有料化を含め皇室施設・文化財の公開を首相に助言してきたのが、菅政権の成長戦略会議メンバーでもあるデービッド・アトキンソン小西美術工芸社社長である。だが問題視すべきは、皇居東御苑内の「三の丸尚蔵館」(一部を無料で一般公開)についてだ。 
 同館は、上皇ご夫妻から寄贈された昭和天皇・香淳皇后の遺品など9682点の美術工芸品を保有している。政府は7月中旬、約2500点の国宝級文化財のうちで伊藤若冲の『絹本著色動植綵絵』、『紙本著色蒙古襲来絵詞』など5点を国宝に指定する方針を決めた。この国宝指定はほんの手始めである。皇室のお宝を「国宝」として地方美術館へ貸し出して、全国的に観光資源にする戦略の一環なのだ。これもアトキンソンイニシアティブとされる。 
 次なる標的は、奈良・東大寺に隣接する宮内庁正倉院との見方が支配的だ。古代シルクロードの終着点とされ、1300年も前の天皇家の貴重なお宝が納められている。中には織田信長が削り取ったとされる香木「蘭奢待」もある。皇室の財産を国民共有のものとして広く公開することには、「国民とともにある」皇室としてはそれなりの意義もあるが、為政者が自らの政策を実現するために皇室を利用するとなると、話は別である。問題は菅氏の皇室観がみえてこないことである。首相周りが「耳障りな情報を報告しない」「政権運営に関する悪い数字を上げない」ことが新常態化して、菅氏は「裸の王様」状態にあると、主要省庁幹部が打ち明ける。忖度政治がはびこっているのだ。 
 その典型が、コロナワクチン接種についての悲惨というべき現状報告である。日々更新・公開されるワクチン供給に関するデータへの信頼失墜でもそれは明らかだ。金メダルラッシュにスガっていた菅氏は「してやったり」とほくそ笑んだが、国民の反応はどうか。卓球・混合ダブスル、女子ソフトボールの金メダル以後、ツイッターの五輪に関する投稿で肯定的な書き込みが急増した。しかし、内閣支持率上昇に繋がるのかは不透明である。依然として、菅氏が「9月衆議院解散・10月総選挙」と「10月解散・11月総選挙」のいずれを選択するのか判定できない。ワクチン次第の政局に変わりはない。