先週、主要国大使経験者と長時間、話す機会があった。むろん、テーマは8月15日のアフガニスタンの首都カブール陥落に伴う在留邦人の「退避問題」である。在アフガン日本大使館員12人は17日英軍輸送機でドバイ経由トルコの首都イスタンブールに脱出した。
そして航空自衛隊の輸送機C130で隣国パキスタンの首都イスラマバードに共同通信現地通信員の日本人女性1人と、米大使館・機関の現地スタッフ14人の計15人が退避できた(米側の要請)。 ところが、信じ難いのは岡田隆大使(84年外務省入省)が「ローテーション」で陥落直前に出国していたことである。ここで想起すべきは、過去に出来したこの種の「脱出劇」である。 特筆すべきは、2016年7月の南スーダンの首都ジュバからの在留邦人国外退避のケースである。内乱発生で経済開発協力に携わっていたJICA職員やPKO(国連平和維持活動)の従事者ら90人をJICAが手配した飛行機でケニアの首都ナイロビに移送したのは同13日。翌日には空自派遣のC130で大使館員4人をジブチに避難させた。
ここからが肝要だ。当時の紀谷昌彦大使(87年)は邦人退避を確認した後、残った大使館員3人と共に陸路米軍のジープでケニアに脱出したのである。 ▶︎
▶︎特命全権大使は天皇陛下からの信任状を相手国の元首に捧呈する。それだけではない。外務省設置法第四条「外務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる」として、(九)に「海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること。」が、言わば大使の任務であると謳っている。さらに湾岸戦争時にはこのような事もあった。
イラクのフセイン政権の共和国防衛隊がクウェートに電撃侵攻したのは90年8月だった。当時、駐クウェート大使は不在のため城田安紀夫参事官(74年)が臨時代理大使として対応に当たった。 この時こそ「命を賭けた救出劇」であった。イラク占領軍の“米国人狩り”など掃討作戦は熾烈を極め、日本大使館も捜索対象になった。 最後まで踏み止まった城田臨時代理大使を始め三井物産駐在員など在留邦人の一部がイラク軍によって同国南部に拘束・連行までされた。
それまでに、実は城田氏が機転を利かせて米国人数人を公邸地下に匿い命を救ったのだ。後に城田元駐イラン大使(アラビア語研修)は米政府から表彰されている。 では、岡田大使現地不在は「不運」ですまされるのか。