2月19日号「『安倍離れ』進める岸田首相のしたたかさー安倍路線脱却が著しい首相。永田町では、その図太いまでのしたたかさが話題だ」

 「マスクして我と汝でありしかな」――。明治、大正、昭和時代の俳人・高浜虚子の句である。昭和12年(1937年)1月23日、ホトトギス派の弟子・山口青邨の送別会が東京・向島の弘福寺で催された際に詠んだものだ。「私は私の道を行く。君は君の道を行けばいい」と言っているようだ。マスクは彼我を隔てる距離感の象徴なのだろう。
ひるがえって、最近の岸田文雄首相の“安倍離れ”が著しい。くだんのマスクがそうだった。岸田氏は昨年末、約8300万枚も在庫を抱える「アベノマスク」を含む布製マスクについて、希望者に配付するとともに残りを年度内に廃棄処分すると表明した。安倍晋三政権の失敗作「アベノマスク」など負の遺産を清算しようとする岸田流「断捨離」といっていい。岸田氏は年が明けても、この基本姿勢を変えていないようだ。1月17日に召集された第208回通常国会の首相施政方針演説に以下のようなくだりがある。《幕末を生きた勝海舟は、「行蔵は我に存す」とともに、「己を改革す」、自らを律することに重きを置きました。今、新たな時代を切り拓くに当たり、統計の不適切処理はもとより、我々政治・行政が、自らを改革し、律していくことが求められています。その最大の原動力は、国民の声です。国民の声なき声に、丁寧に耳を傾ければ、そして国民と共に歩めば、自ずと改革の道は見えてきます》。ここで注視すべきは、江戸時代末期の幕臣であり明治新政府でも要職に就いた勝海舟の名言「行蔵は我に存す」である。勝海舟の出処進退を批判した福沢諭吉への書簡のなかに「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候」とある。出処進退の決定には私の基準があり、他人の承認を求めるべきものでもない。毀誉褒貶はしょせんひとごとであり、私は関知しません、ということだ。 
そして筆者が刮目したのは、首相の地元・広島の中国新聞(18日付)のコラム「天風録」である。《▲首相は演説の締めくくりにもう一つ、海舟の言葉「己を改革する」を引用した。こちらは晩年の政談を聞き書きした「氷川清話」の一節。行政改革は公平が肝要だと説いた上で「改革者が一番に自分を改革するのサ」▲自己責任と自己改革―。激動の世を駆け抜けた一人の政治家の腹をくくった信条に、岸田首相はどんな思いを重ねたのだろう。安倍・菅政治からの訣別宣言と読めないこともないが、さて…。》という記述。地元県紙が「改革」をキーワードにして放った絶妙なコラムだ。忖度していないはずがない。 次は首相自身の言葉である。施政方針演説翌日の18日夜、世界経済フォーラムによりオンライン形式で開催された「ダボス・アジェンダ2022」に出席し、特別講演を行った。そこには「……このように、アベノミクスは、大きな成果を上げてきましたが、持続可能で、包摂的な日本経済に変革していくためには、これまでの取組だけでは不十分なことは明らかです。……」という表現が盛り込まれていた。平たくいえば、アベノミクス批判だ。加えて、1月25日の衆院予算委員会で前原誠司氏(国民民主党)の質問に「株主資本主義からの転換は重要な考え方の一つ」と答えているのだ。▶︎

昨今の永田町では、岸田氏の「強かさ」が話題となっている。政局がらみでいえば、岸田政権中枢を占有するキーパーソンの年末年始の会食日程が極めて象徴的だ。12月22日:東京・浅草の「鷹匠壽」で安倍元首相、麻生太郎自民党副総裁、茂木敏充幹事長が夕食。同24日:東京・永田町の「水簾」で岸田、麻生、茂木氏、松野博一官房長官が昼食。同26日:東京・虎ノ門の「ヌーヴェル・エポック」で岸田氏、山際大志郎経済再生相、小林鷹之経済安全保障相、木原誠二官房副長官、甘利明前幹事長が夕食。1月5日:自民党本部で岸田、麻生、茂木氏、遠藤利明選挙対策委員長が会談。東京・内幸町の「嘉門」で岸田、麻生、遠藤氏が夕食。同11日:東京・丸の内の「和田倉」で岸田、安倍両氏が夕食。同14日:虎ノ門の「山里」で岸田氏、高市早苗政務調査会長、古屋圭司政調会長代行が夕食。同15日:東京・明石町の「つきじ治作」で岸田、山際、木原、甘利氏が夕食。目まぐるしい会食には前哨戦があった。仕掛け人は昨年の自民党総裁選で岸田氏に挑んだ積極財政派の高市氏である。同党財政健全化推進本部(本部長・額賀福志郎元財務相)が、12月7日に初めての役員会を開いた。最高顧問に麻生氏を担ぎ、当日は岸田氏が冒頭あいさつを行った。
一方、高市氏の下で発足した財政政策検討本部(本部長・西田昌司政調会長代理)は最高顧問に安倍氏を迎えた。巨額な財政出動をめぐる慎重派と積極派の対立構図が鮮明となったのである。 事を複雑にするのは政局が絡むことだ。政策や人事をめぐる岸田、安倍両氏の齟齬、「大宏池会」構想(麻生派、岸田派、谷垣グループの合流)について安倍、麻生両氏の微妙な関係、岸田、麻生、茂木氏の堅固な関係と安倍氏との若干の差異などである。メーンプレイヤーの思惑の違いから生じるズレのようなものだ。
とはいえ、岸田氏の強かさが際立つのは会食のメンツである。安倍氏が不満を抱いていると聞けば、政権発足後初めて対面で食事する。高市氏が「財政規律」を盛り込んだ昨年の首相所信表明演説に反発すれば、年明けの夕食に誘う。一方で、甘利幹事長時代の衆議院議員選挙対応に安倍氏が憤っているのを承知で、年末年始に同氏を交えた会食を二回もする図太さがある。新型コロナウイルスのオミクロン株感染の急拡大で35都道府県に「まん延防止等重点措置」が適用されたが内閣支持率は58%もある。この摩訶不思議は、はたして「岸田マジック」なのか。