2月14日付「岸田首相のお手本は池田勇人元首相ー『寛容と忍耐』継承するも市場からは悪評」

岸田文雄首相が、自らの基本政策だけでなく政治手法までも、第58代内閣総理大臣の池田勇人をお手本にしていることを知る者は多くない。岸田氏が領袖である自民党宏池会は、池田政権の「所得倍増計画」につながる政策路線を確立させるために池田氏が政策集団として、池田政権誕生のほぼ3年前の1957年9月に結成したことが源流である。経済を旗印とした初めての派閥であった。宏池会の遺伝子(DNA)とされる「軽武装・経済重視」の原点はここにある。池田氏の長年の政治的ライバルであった当時の岸信介首相への「裏返し」と言える。
そして日米安保条約改定に政治生命を賭けた岸氏と池田氏の関係は、今日までの系譜でみると岸氏→福田赳夫元首相→安倍晋三元首相、そして池田氏→大平正芳元首相→岸田氏と継承された。平たく言えば、前者が現在の最大派閥・清和会(安倍派)、後者は宏池会(岸田派)である。岸田氏がこの数年間、密かに「池田勇人研究」に傾注してきたこともそれほど知られていない。もちろん、その契機はあった。2017年4月19日に開かれた宏池会創立60周年パーティーだ。同派会長の岸田外相(当時)が側近の現官房副長官・木原誠二氏に政策提言をまとめるよう指示したのがそもそもである。▶︎ 

▶︎以来、長い時間を要した。安倍氏からの禅譲を期待したこともあって、岸田氏は「闘わない人」と言われ、宏池会は「お公家集団」と揶揄された。 一昨年9月の自民党総裁選がターニングポイントとなったのだ。当時の菅義偉官房長官で確定的とされたこともあり、木原氏ら側近は出馬見送りを強く進言した。
だが、「ここは負け戦であっても戦うことが重要なのだ」と耳を貸さず、立候補・大敗を喫した。岸田氏は世上の評価とは異なり、頑固なのだ。この総裁選敗北を機に、首相周りで再び「池田研究」が始まった。本格化したのは昨年初頭である。その過程で岸田氏は、池田元首相の「寛容と忍耐」を自らのキーワードとし、現政権の肝となった「新しい資本主義」構想を産み出したのである。
しかし、その具体性が乏しい上に、「株主資本主義からの転換」(1月25日の衆院予算委員会答弁)などキャッチコピーに走るため、市場関係者には悪評嘖々だ。然るに安倍氏がかつて提起した「成長と分配」では「分配重視派」のレッテルを張られる。苦難の道は途絶えることはない。