2月24日午前5時(現地時間)頃、ロシア軍が全正面においてウクライナへの軍事侵略を開始するまで、同国には運転中の原子力発電所が4カ所、原子炉が15基あった(1986年に発生した史上最悪のチェルノブイリ原発放射能汚染事故で廃炉となった原子炉4基を除く)。原子力が発電総量の60%弱という“原子力大国”のウクライナにはロブノ原発(4基)、フメルニツキ原発(2基)、南ウクライナ原発(3基)、ザポリージャ原発(6基)がある。そして原子炉はすべて露ロスアトム製の加圧水型軽水炉(PWR)。
隣国ベラルーシから侵攻したロシア軍は同日午後7時50分、首都キエフ北西のウクライナ北部にあるチェルノブイリ原発及び周辺地域を制圧した。そして現在もロシア支配下にある同原発の保安要員100人と国家親衛隊の警備員200人は閉じ込められたままだ。ロシアが次の標的としたのは南東部にある欧州最大規模のザポリージャ原発である。短距離ミサイルなどを含む総攻撃を受けた4日午前、1基が出力60万キロワットに抑えて運転中だった。幸いにも原子炉6基に被害はなく、現状では放射性物資の大気中への流出もないことが、6日未明にワシントンで行われた米国防総省高官のバックグラウンド・ブリーフィングで確認されている。
それにしても、同原発は国内電力の約25%を供給しているだけに、ロシアの電源掌握がウクライナ経済・軍事へ与える影響は計り知れない。続く6日には東部ハリコフの原子力研究施設・国立物理技術研究所が多連装ロケット弾の攻撃を受けた。同研究所には核物質が保管されており、放射性物質が拡散すれば甚大な環境破壊につながりかねない。ザポリージャ原発と国立物理技術研は現在、共にロシア軍「管理下」に置かれているため、被害状況の実態が判然としていないのが不気味である。さらに南部正面のクリミア半島・アゾフ海、黒海方面から国境を突破したロシア軍は、短距離ミサイル、多連装ロケット攻撃、そしてヘリ空爆の援護を受けて南ウクライナ原発制圧を目指している。▶︎
▶︎なぜ、原発や原子力研究所を攻撃・制圧に固執するのか。それは「プーチンの戦争」そのものと関係する。ウクライナのゼレンスキー政権がこうした原子力施設・研究所で「核兵器を秘密裏に開発している」と断じるウラジーミル・プーチン大統領は電光石火の侵攻・制圧作戦を命じたのだ。「管理下」にある各施設・研究所の捜索で核兵器開発の「証拠」を発見したと喧伝し、侵攻を正当化するために。もちろん、それはでっち上げの「証拠」を作りだした上でのことになる。この「核兵器開発」同様に東部の親露勢力地域で出来したとする「ジェノサイド」(集団殺害)や、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領以下政権幹部を「麻薬中毒者やネオナチの一味」と批判を繰り返すのもウクライナ侵略のための「口実」である。
なぜ、プーチン氏は武力による現状変更をしてまでウクライナの主権及び領土を侵害するのか。そして国際法違反してまで国際秩序の根幹を揺るがすのか。付言すれば、今回の侵略が世界から総スカンを食らい、厳しい金融・エネルギー・通商・貿易・輸出管理などの分野で制裁措置を科せられることは明々白々だったのに、なぜプーチン氏は侵略を決断したのか、である。1991年の旧ソ連崩壊でウクライナは独立した。そのウクライナが選りに選って北大西洋条約機構(NATO)に接近・加盟を求めた。これが許せない。だから手練手管を使って元の版図に組み入れようというのだろう。「大ロシア」の再興を夢見ているのではないか。恐らく、お膝元のロシア国内の冷酷な統治体制下では一般大衆、メディア、知識層などからそれほど大きな反発は出来しないと、甘く見ていたのではないか。首都モスクワだけでなく国内各地で数千人規模の抗議デモが頻発している。連日連夜、治安当局はデモ参加者から見物人までを大量検挙・拘束しても「戦争反対」の声は「プーチン退陣」にエスカレートしている。プーチン政権中枢に近いオリガルヒ(新興財閥)の中からも批判の声が上がるだけではない。富裕層の一部は母国の先行きに展望がないと見限り、隠し資産を持つ南仏や英国に脱出・逃亡し始めた。
さて、プーチン氏はどうする――。勝海舟と山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と言われた高橋泥舟の狂歌「欲深き人の心と降る雪は 積もるにつけて道を忘るる」を進呈したい。因みに、筆者が住む東京・小石川の播磨坂桜並木に泥舟・鉄舟義兄弟の碑がある。