3月19日付 プーチン率いる「マフィア国家」の求心力は、イデオロギーではなくすべて「カネ」にある

 英王立防衛安全保障研究所(Royal United Services Institute for Defence and Security Studies。通称「RUSI」)というシンクタンクをご存じだろうか――。 
何と190年前の1831年に創設された世界最古のシンクタンクである。RUSI本部は首都ロンドンの官庁街ウエストミンスター地区ホワイトホールにあるが、ジョン・ル・カレの一連のスパイ小説でおなじみの首相官邸(ダウニング街10番地)の斜向かいである。日本での知名度で言えば、英国のシンクタンクは英王立国際問題研究所(Royal Institute of International Affairs。通称「チャタム・ハウス」)が断トツである。しかし、2月24日のロシアによるウクライナ侵攻開始後、RUSI関係者のコメントが日本でも紹介されるようになった。読売新聞(2月26日付朝刊)は、同紙ロンドン特派員のRUSIリサーチアナリスト、ニック・レイノルズ氏インタビュー記事を掲載している。さらに英BBC(英国放送協会)は3月9日配信(日本語版)でジョナサン・ビール防衛担当編集委員の記事中にRUSIリサーチフェロー(空軍力担当)、ジャスティン・ブロンク氏のコメントを引用していた。では、なぜ本稿でRUSIを取り上げるのか。もちろん、理由がある。ウラジーミル・プーチン露大統領のウクライナ軍事侵攻決断を、実は昨年12月下旬に予測していたロシア問題専門家が世界で唯一人いたのだ。それは、RUSIのシニア・リサーチフェロー、国際部長、そして「RUSI Newsbrief」編集長のジョナサン・アイル氏(Dr Jonathan Eyal)である。 
東欧ルーマニア出身のアイル氏はロンドン大学とオックスフォード大学で修士号、博士号取得後の1990年にRUSIに入所し、今日に至る。英・仏・独・伊語とハンガリー、ルーマニア語に堪能なロシア・東欧問題の世界的なエキスパートだ。そのアイル氏が自ら編集長を務める「RUSI Newsbrief」(会員制)に、ロシアによるウクライナ侵略のための軍事作戦計画がほぼ整い、発動される可能性が圧倒的に高くなったので、当該のウクライナ及び周辺国とNATO(北大西洋条約機構)加盟国はその対応策を早急に準備すべきだと、警鐘を鳴らしていたというのである。だが、実際には米・英国を筆頭にEU(欧州連合)主要国の多くがその予測に懐疑的であり、プーチン氏は土壇場で思い留まるとの見方でほぼ一致していた。▶︎

▶︎当然ながら、米中央情報局(CIA)など情報機関が密かに情報収集・分析する「プーチン・ファイル」にはロシアの武力行使の可能性に言及していたはずだ。だが、こうしたインテリジェンスを生かすも殺すも政治指導者の判断次第である。一例を挙げる。ウクライナ侵攻直後から先進7カ国(G7)連携で対露金融・経済制裁が相次いで発動されて、対露抑止にかなりの効果があった。それは、年初から米財務省のブライアン・ネルソン財務次官(テロ・金融犯罪担当)率いる情報機関・金融犯罪捜査網(FinCEN)が、プーチン専制体制を支えてきたオリガルヒ(新興財閥)も含めて制裁対象への“鉄槌メニュー”を練り上げていたからだ。対露制裁が効いたのは紛うことなき事実である
だがしかし、再興する「大ロシア」の皇帝(ツァーリ)に自らを重ねるプーチン氏の胸中まで立ち入った情報収集・分析は容易ではないようだ。では、この「プーチンの戦争」の張本人については、どのように捉えたらその実像に迫れるのか。筆者が最近読んだ本に興味深い記述があった。元日本経済新聞国際部次長兼編集委員の古川英治氏の『破壊戦―新冷戦時代の秘密工作』(角川新書。20年12月発行)である。モスクワ特派員を2回、その間にオックスフォード大学大学院ロシア・東欧研究科を修了したプロフェッショナルだ。同書の「はじめに」に《ロシアが「ダークパワー」とも呼べる秘密工作で自由・民主社会を壊そうとしている――》と記述されていた。
目から鱗という月並みの言葉になるが、この指摘に得心がいった。 そして古川氏が紹介している元ハンガリー教育科学相で社会学者のバーリントン・マジャル氏の指摘「プーチンらの国家体制の核となるのはトップへの絶対的な忠誠なのです。これは『ファミリー』から成るマフィアの組織に近い。犯罪行為も辞さず、政府、議会、司法、治安機関、メディア、そして産業界までファミリーの支配を進める統治です。マフィア国家の求心力はイデオロギーや理念でなく、すべてカネにある」が全てである。付言すればウクライナ人妻と子供がいる古川氏は現在、首都キエフに滞在している。叶うのであれば、同氏のリポートを是非とも読んでみたいものである。