3月26日付 カネに物を言わせて…プーチン専制政治を支えた超大富豪「オリガルヒ」の知られざる“晩餐”

筆者はジャンルを問わず多くの本を読む。乱読と言っていい部類であろう。年初に読んだM・W・クレイヴンの『ブラックサマーの殺人』(ハヤカワ文庫)を取り上げるが、その理由は後述する。著者のクレイヴンは前作『ストーンサークルの殺人』で英国推理作家協会主催の最優秀長編作品賞「ゴールド・ダガー」を受賞し、今や英国ミステリ小説におけるリードオフマンである。本書は主人公の刑事ワシントン・ポーと殺人鬼のカリスマシェフ・キートンとの知恵比べが主要テーマだが、残虐な殺人事件発覚の切っ掛けと結末に登場するフランス料理の逸品オルトラン(ortolan野鳥のズアオホオジロ)が謎解きのキーワードとなる。
実は、オルトランと筆者には浅からぬ因縁がある。契機となったのは10年以上も前の日本経済新聞夕刊連載のコラム「人間発見」シリーズの「フレンチで打ち解けて②」(2011年7月12日付)だった。登場したフランス料理界の巨匠、ジョエル・ロブション氏(故人)が、1966年にパリの人気店「ル・ベルクレー」に21歳で入店した修行時代、店内で目撃したシュルレアリズム画家のサルバドール・ダリについて語ったのだ(今も同記事コピーを保管している)。雀より小さな渡り鳥であるオルトランは脂が乗った熱々のものを頭から食べるが、ダリはその繊細な香りを独占するべくベールをすっぽりと被って味わっていたと、ロブション氏は驚きを込めてその目撃談を紹介している。以来、高価な食材であるが、いつの日かオルトランを食してみたいという想いに囚われてきた。1年半後の13年1月にパリを訪れる機会があり、チャンス到来とばかり胸(否、腹)が躍った。
だが、パリ滞在中の2回の夕食を通じてその願いははかなくも潰えた。先ず、昨年亡くなったパリ在住の我が盟友・岡本宏嗣氏が案内してくれたカジュアルフレンチの店「EPICURE 108」(パリ17区Cardinet108番地。現在は営業していない)のオーナーシェフ・呉屋哲さんの説明だった。曰く、ジビエ(野生鳥獣)料理では最高のオルトランは仏北西部ブルターニュ地域の保護鳥であり、11月中旬から12月下旬の期間限定メニューである(同期間中だけ狩猟が許されている)。料理人である自分が食べても、ベストだと思う。▶︎

▶︎2回目のディナーは、それ自体素晴らしいものだったが、フランスでも著名なグルメ評論家のフランソワ・シモン氏(中央公論社から11年10月に『パリのお馬鹿な大喰らい』を出版)の年代物のメゾンに招かれたのだ。同氏は仏紙フィガロの編集委員であり、世界的なレストラン・ガイドブック『ZAGAT Paris版』の審査委員でもある。氏自らが料理し、立派なセラーからワインを選び、歓待してくれたのである。その折にオルトランはどこへ行けば食べられるのか聞いてみた。曰く、残念ながらあなたがパリ滞在中に食することは不可能だ。どうしても食べたいのであれば、親しい二つ星レストランの予約を取ってあげるので今年のクリスマス前にいらっしゃい……。 
件のシモン氏を紹介してくれたのは30年以上の知己であり、フィガロ紙東京支局長のレジス・アルノー氏である。後に生前のロブション氏に会わせてくれたご自身がグルメなのだ。そのアルノー氏がカルロス・ゴーン元日産会長追跡取材で訪れたレバノンの首都ベイルートで生涯2度目のオルトラン体験というほどの貴重な野鳥なのである。さて、なぜオルトランなのか。現下のウクライナ戦争と少なからぬ関係があるのだ。米欧日連携の対露金融・経済制裁の対象となったウラジーミル・プーチン大統領の専制政治を支援してきたオリガルヒ(新興財閥)が相当数いる。
その中でも最近、プーチン氏と距離を置いているとされる超大富豪ロマン・アブラモビッチ(個人資産会社ミルハウス・キャピタルのオーナー)とオレグ・デリパスカ(ロシア・アルミニウムの創始者)の両氏は冬のパリに立ち寄る度にカネに物を言わせて最高級キャビアのベルーガとオルトランを楽しんでいたというのだ。残念無念だが、そのレベルの金持ちではない筆者は一生口にすることが出来ないのかもしれない。せめて先述の『ブラックサマーの殺人』を読んで追体験するだけである。読者の皆さんも来たるゴールデンウィーク(大型連休)中に読んで紙上で味わってみたら如何だろうか。