ジョー・バイデン米大統領がアジア歴訪の旅を終え、日本を発った直後に北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)を含む3発の弾道ミサイルを発射したのが5月25日早朝。米国が早急に原油輸出制限を盛り込んだ制裁決議案の安保理採択へと動いたが、これに対し中国とロシアが拒否権を行使。北朝鮮初の核実験(2006年)以降、安保理は10回にわたって全会一致で対北制裁決議を採択してきたが、今回初めて廃案となった。
周辺諸国が最も神経を尖らせているのが、北朝鮮の次の一手、7回目の核実験である。韓国大統領府は同日、直近の数週間で北朝鮮が核兵器の起爆装置の作動実験を複数回行っていると発表。すでに核実験の準備は完了しており、北朝鮮はタイミングを慎重に図っているとみられている。北朝鮮はICBM搭載用の核弾頭の小型化を成功させて「核保有国」となり、米国と対等の立場で交渉のテーブルにつくことを望んでいるが、そうなれば日本には深刻な「現実」が突きつけられることになる――米国の「核の傘」の無効化である。バイデン大統領の日韓訪問時に打ち出された「拡大抑止」については、26日の衆院予算委員会でもその有効性が議論されたが、北朝鮮が核搭載ICBMを完成させれば、米国の「核の傘」には大きな穴が開くことになる。その理由は、いみじくも歴史人口学者のエマニュエル・トッドが『文藝春秋』(5月号)で明快に論じた通りである。彼は核共有も核の傘も「幻想」だと断言する。なぜか?「使用すれば自国も核攻撃のある核兵器は原理的に、他国のためには使えないからです。中国や北朝鮮に米本土を核攻撃できる能力があれば、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ません」――。
では近い将来の「新しい現実」に対し、どう対処すべきか。念頭に置いておくべきは、北朝鮮が6回目の核実験を実施した17年9月以降の動きである。3日、北朝鮮は大規模な核実験を行い、ICBM搭載用の水爆実験に成功したと発表。国連安全保障理事会が中露を含む全会一致で追加制裁決議を採択する中、15日に北朝鮮はICBM発射実験を実施する。日本上空を通過したミサイルは過去最長の飛距離を記録し、米軍基地のあるグアムへの攻撃能力を示した。さらに同年11月28日のICBM発射実験では、重い核弾頭を搭載した場合でも米西海岸を攻撃する能力があることを世界に知らしめた。以来、日米両国は対北圧力を強めると同時に、軍事的対抗策を検討してきた(廃案に追い込まれたイージス・アショア案はその一例)。19年に開催された米朝首脳会談で交渉による解決への道が模索されるも、相互不信の末、再び対立へと回帰したのは周知の通りである。▶︎
▶︎ただし、当時とは大きく異なる点がある。まず、北朝鮮はその核・ミサイル能力を大幅に向上させている。さらに、北朝鮮に対する中国の態度も大きく変化している。アモイで開催した中・露・印・ブラジル・南アフリカ5カ国(BRICS)首脳会議の初日に核実験を強行されたことで面子を失った中国は当時、「断固とした反対と強烈な非難」を表明して北朝鮮を批判したが、今後そうした態度を期待することはできない。
今回の中露による拒否権行使はそのことを誰の目にも明らかにしてみせた。ある安全保障専門家は現状を以下のように分析する。「米国との間で進行するデカップリング、そしてロシアのウクライナ侵攻で生じた西側諸国との亀裂によって、中国にとっての北朝鮮の重要性はかつてないほどに高まっている。コロナ感染拡大を公表した北朝鮮への中国の迅速な支援はその証左といえる。17年の核実験後、ホワイトハウスでは対北政策の選択肢として制裁、対話と並んで軍事攻撃も真剣に検討されたが、今の中国の前では選択肢として考えることすら困難だ。
さらに対話路線はトランプ政権時代に完全に潰えた上、対北制裁もこれまで以上に骨抜きとなることが予想される。国連安保理が機能不全に陥り、かつ中朝・中露の連携が強まっている今、米国はまさに『打つ手なし』の状態にある」。鍵を握る中国は、外交部記者会見や新聞・テレビを通じて、連日のように米主導の「対中包囲網」と台湾への軍事的・政治的関与を批判している。その姿は北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大やウクライナへの軍事的援助を批判してきたロシアとも重なるが、それは「戦端が開かれた場合」においても同様かもしれない。5月中旬に米NBCで放送された「ミート・ザ・プレス」と米シンクタンクの新アメリカ安全保障センター(CNAS)が共同で行った「ウォー・ゲーム」(元政府・軍高官と専門家によるシミュレーション)では、台湾をめぐる米中の攻防の過程で、中国による核兵器使用(ハワイ沖での示威的爆発)にまで事態はエスカレートしている。ウクライナ東部のドンバス地方確保にこだわるロシアが戦術核を使用する可能性が強まる中で、それは将来の日本にとって対岸の火事ではない。事実、中露朝という核による威嚇を躊躇しようとしない三カ国の矢面に日本は立たされている。目前に迫る北朝鮮の核実験は、東アジアにおける新冷戦あるいは最悪の事態とも言える“熱戦”の幕開けを告げる号砲となるかもしれない。