7月16日号「岸田氏が『衆議院解散』を断行する日ー本当の政権安定期が到来するのは、衆院を解散してから。岸田氏が『伝家の宝刀を抜く日はいつか」

 「安倍さんは質問されないこともしゃべる。菅さんは聞いても答えない。岸田さんは求められていないことも自分が答弁する」――。参議院議員選挙公示後に自民党有力者から話を聞く機会があった。
 くだんの方は安倍晋三元首相、菅義偉前首相、岸田文雄現首相をよく知る立場なので、一言人物評をお願いした。一拍置いて答えたのが、3人の首相答弁を比較してのコメントだった。三者三様を言い得て妙だと得心した。安倍氏は何事にもアグレッシブであり、菅氏は何事にも慎重である。他方、岸田氏は何事にもまじめに取り組むというのである。現下の厳しいウクライナ情勢で野党から対ロシア制裁について質問されたのが外相であっても、責任感が強いがゆえに、自ら手を挙げて答弁するというのだ。本稿を目にする読者はすでに第26回参院選の結果を承知しているだろう。岸田政権は、自民、公明の与党が改選議席過半数を大幅に上回り、自民、公明、日本維新の会、国民民主党の「改憲勢力」で憲法改正発議に必要な3分2(166議席)を維持したと言い募っているはずだ。と同時に各メディアは、岸田氏が向こう3年間衆議院を解散しない限り国政選挙のない「黄金の3年」を迎えると報じているだろう。
 本当だろうか。有為転変激しい政界に3年間も解散風が吹かないことはない。これは取材経験から断言できる。いくら野党が非力でも、与党が「無策無敵」の岸田政権で表向きまとまっているように見えても、政治はそんなに甘くない。自民党内の非主流派は言わずもがなだが、ポスト岸田を狙う面々も岸田氏が少しでも弱みを見せたら足を引っ張ってやろうと待ち構えているのが地下マグマの実相だ。3年間、スピードを控えめに安全運転していたら無事乗り切れるほど政界は純真無垢ではない。そんな権力者はわが国に一人もいなかった。権力を持つ者に本当の安定期が到来するのは、実は衆院を解散し勝利してからである。自分の手で解散して総選挙に圧勝したリーダーこそ無双の力をつける。それが長年取材してきて学んだことである。近現代政治史を論証してみたい。「日米安保改定」の岸信介首相の後継者、池田勇人首相は「所得倍増」など経済優先主義で1962年7月の参院選に勝利し、翌年11月の衆院選でも勝った。「貧乏人は麦を食え」などの暴論も少なくなかったが、内閣支持率は高く64年の東京オリンピック開催を含め高度経済成長で日本に中間層を生んだ。60年前のことだ。当時はキューバ危機など東西冷戦真っただ中であった。
 次は宮澤喜一首相。30年前の92年6月に国連平和維持活動(PKO)協力法案を可決・成立させた。宮澤氏は加藤紘一官房長官の反対を押し切って衆院本会議採決を強行した。同9月にPKOによる自衛隊のカンボジア派遣を実施。その間の7月参院選では不況型倒産増加でも自民党は何とか改選議席の過半数を得た。前年12月にはソ連崩壊があった。翌93年6月に内閣不信任決議案が可決、7月の総選挙で自民党は敗北・下野した。▶︎

▶︎ そして30年後の今である。ロシアのウクライナ軍事侵攻による「新冷戦」到来とされるなか、しかも参院選挙期間中に、岸田氏は日本の首相として初めて欧米の事実上の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)の加盟国首脳会議に出席した。対ロシア制裁強化を打ち出す一方で、インド太平洋地域における中国の活発な海洋進出を念頭に日本が果たしうる具体的役割策を披瀝した。「力による一方的な現状変更」を目の当たりにした日本は核保有国の中国、ロシア、北朝鮮に3方向から囲まれている現実を思い知らされたのである。
 くしくも60年前の池田氏、30年前の宮澤氏、そして岸田氏は「軽武装・経済重視」「ハト派」の代名詞である宏池会(現岸田派)の領袖であり、池田氏がその創設者である。歴史の必然を感じる。ひるがえって、2001年7月の参院選に勝利した小泉純一郎首相は、3年後の衆院の任期満了を待たずに03年10月に衆院を解散した。04年には参院選があった。青木幹雄元官房長官は小泉氏に、それこそ「勝てば黄金の3年が来る」と進言したが、小泉氏は05年8月に再び解散した。衆院の解散権は、憲法で認められている首相に与えられた大権である。首相に就いた者、一度はこの伝家の宝刀を抜いてみたくなる。衆院解散・総選挙に勝利した首相は以前にも増して足元が盤石になるのが自明だからだ。
 しかし、心ならずも解散権を行使できなかった首相も少なからずいる。麻生太郎元首相と菅前首相がそうだ。両氏とも解散を打てずに政権を去った。内閣支持率が下落し「選挙の顔」としての信任を党内で失うと、政権に遠心力が働き、解散カードは急速に色あせる。岸田氏は安倍氏の成功例もきちんと頭の中にインプットしている。安倍氏は小泉氏に似て、好機とみればためらいなく解散を連発し、衆院選で勝ち続けて長期政権を手元に呼び寄せた。12年12月の総選挙で大勝して首相に返り咲いた。翌年7月の参院選でも与党は過半数を獲得し、外野席は16年夏の参院選まで「黄金の3年」か、とはやし立てた。
 ところが翌14年11月、任期4年の半分以上を残して衆院解散に踏み切り、総選挙で大勝する。16年7月の参院選でも勝利し「改憲勢力」が衆参院の3分の2を超える。今度こそは18年12月の任期満了までの2年半の間に悲願の憲法改正をめざすとみられたが、17年9月に抜き打ち解散を断行したのだ。岸田氏は間違いなく安倍氏に学んでいる。来年の主要7カ国首脳会議の広島開催(5月19~21日)を発表したが、その後の23年度政府予算成立を待って衆院解散・総選挙を断行する腹積もりではないか。勝利の方程式は変わらないのだ。 

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