中国共産党は10月23日、第20期中央委員会第1回全体会議(1中全会)で同党最高指導部人事を決定し、習近平共産党総書記の「1強体制」が確立した――。 最高指導部7人の共産党政治局常務委員(チャイナ・セブン)は次のような面子である(序列順)。習近平中央委員会総書記・国家主席・中央軍事委主席、李強首相(前上海市党委書記)、趙楽際・全国人民代表大会常務委員長(前党中央規律検査委書記)、王滬寧・全国人民政治協商会議主席(前党中央書記処書記)、蔡奇・党中央書記処書記(前北京市党委書記)、丁薛祥・副首相(前党中央弁公庁主任)、李希・党中央規律検査委書記(前広東省党委書記)。
新たに最高指導部入りした4人のうち李強、蔡奇、丁薛祥氏は、それぞれ習氏が浙江省、福建・浙江省、上海市で勤務していた当時の直属の部下であり、李希氏は習氏が青年期を過ごした陝西省梁家河村と習氏の関係回復に尽力したことで知られる。要するに「習派」なのだ。 党政治局常務委員に留任した王滬寧氏は7人中唯一人の非「習派」(無派閥)であり、江沢民、胡錦濤、習氏の3政権にわたり理論的支柱を務めて「三大帝師」と呼ばれる稀有な存在である。
ところで、中国専門家の間で22日の第20回共産党大会閉幕式での「ハプニング」が大きな話題となった。胡錦濤前総書記が途中退席したことを巡り、揣摩臆測を呼んだ。それは日を置かずして胡氏が退席する場面の動画がツイッターなどで拡散したからだ。同日夜時点での国営の新華社など中国側の説明によると、糖尿病などの持病を持つ胡氏の体調異変を察知した係員が同氏を支えながら退場したというのだ。ところが拡散した動画の直前の胡氏の動きを捉えた新たな動画(シンガポールのテレビ局CNAが公開)が流出したのである。その画像について、日本経済新聞(26日付朝刊)は《胡氏が手元の赤いファイルを見ようとした際、左隣に座る栗戦書氏(注:当時、政治局員だったが今回人事で外れた)がその動きを制止してファイルを引き寄せたような姿が映る。その後、胡氏は離席直前に習氏のファイルにも手を伸ばしたが、習氏が応じなかったようにも見える。……党大会の公式行事での途中退席は異例。党人事などに不満があったなどと臆測を呼んだため火消しを図った可能性がある》と報じた。▶︎
▶︎チャイナ・ウォッチャーの一部で以下のような見方が流布されている。党大会6日目の21日に配付された新政治局員名簿草案に李克強(首相)、汪洋(副首相)両氏の名前があったが、22日の最終日に配布されたリストから2人の名前が落ちていた。当日の壇上で初めて知った胡錦濤氏が8月の「北戴河会議」合意(胡氏が率いた「共青団派」の李克強、汪洋氏の留任)に反すると、習氏に再考を求めようとしたのがまさに「途中退席」動画であるというのだ。胡氏の席のマイクは切られており、その声は右隣の習氏にしか届かなかった。そこへ駆けつけた係員ではなく警備員2人が胡氏を連れ出したというのが真相だと言う。それだけではない。胡氏は警備員に右腕を掴まれて椅子から立たされると、厳しい表情で習氏に何かを言い、左手で小突くようなそぶりを見せた後、その左手で習氏の右隣に座る李克強氏の背中をポンポンと叩くしぐさを見せてから退場したというのである。26日夕配信の朝日新聞(電子版)に添付された動画を観れば、上述の解説に得心が行く。真相は藪の中だ。
いずれにしても、習氏が強権を発動して絶対権力を掌中に収めたことは確かである。では、今回の習近平人事をどう評価すべきか。党大会初日の16日に習氏が行った政治報告(1時間45分間)に、台湾問題に関する次のような記述がある。「平和的統一の実現を目指すが、決して武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置を執るとの選択肢を残す」。習氏を主席とする党中央軍事委員会委員(7人)人事からも分かることだが、台湾と向き合う福建省出身の何衛東・副主席(前東部戦区司令員)は同省を拠点とする第31集団軍の出身。苗華・委員(同軍事委政治工作部主任)もまた同軍出身である。そして尹力・福建省党委書記は党序列24位以内の政治局員に軍部からの何衛東氏とともに抜擢された。肝は台湾情勢に通じた陸軍将官・党幹部の福建省人脈を要路に配置したことだ。こうした新人事から理解すべきは、早期の「台湾侵攻」が排除できないという厳然とした事実である。