11月19日付 米英とロシアの熾烈な情報戦争…ウクライナ州都ヘルソンを奪還を果たした「Operation Spearhead(槍先作戦)」とは一体

 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は11月11日夜、ロシアに占領されていた南部ヘルソン州の州都ヘルソンを奪還したと発表した。その前日の午後、東京・内幸町の日本プレスセンターで、ゲストスピーカーに英王立防衛安全保障研究所(Royal United Services Institute for Defence and Security Studies。RUSI)日本特別代表の秋元千明氏を招いた会合(日本記者クラブ主催)に出席する機会を得た。対面参加者が30人限定の上に同氏発言の直接引用を禁じられたこともあり、極めて興味深かったその内容が報道されることはなかった。
 筆者はこれまで本コラムで、世界最古のシンクタンクであるRUSIがロシアのウクライナ軍事侵攻を世界に先駆けて予測していたことを含めウクライナ情勢に関する情報収集・分析で際立った役割を果たしていると指摘している。そのRUSI日本代表の秋元氏はNHKの記者時代から名高い安全保障専門家である。秋元氏が多岐にわたって話されたなかで差し障りがない一事だけを紹介したい。現下のウクライナ戦争について日本の新聞・テレビ各社が引用する戦況情報の発信元・米戦争研究所(Institute for the Study of War。ISW)とRUSIはそれぞれが米、英情報機関と密接な関係を確立しているだけではなく、米英両国はISWとRUSIを通じてリアルタイムで共有する戦況情報を各国メディアに提供していると言うのだ。この説明に得心した。
 要するに、米英両情報機関は主要シンクタンク経由でロシアと熾烈な情報戦争を行っているということなのだ。以下、秋元氏の話をヒントを得た筆者が取材したISWの障りだけでも紹介したい。米国が直接介入したイラク戦争、アフガニスタン戦争を通じての「反省」から、2007年、軍事歴史学者のキンバリー・ケーガン女史が無党派・非営利のシンクタンクとして創設した。同研究所の現理事会メンバーは所長のケーガン氏以下、議長のジャック・キーン退役陸軍大将、ジョセフ・リーバーマン元上院議員(民主党)、ウィリアム・クリストル元副大統領首席補佐官(ネオコン派の牙城『ウィークリー・スタンダード』編集長)、ケリー・クラフト前国連大使、デヴィッド・ペトレイアス退役陸軍大将(元CIA長官)らだ。イナミクス、レイセオン・テクノロジーズ、ゼネラル・モーターズ、パランティア・テクノロジーズなどから財政支援を受けている。論客としてのケーガン女史の立ち位置を知るには、夫のフレデリック・ケーガン氏のファミリーを理解する必要がある。保守系シンクタンクAEI(アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所)主任研究員のフレデリック氏の父・ドナルド元イェール大学教授(故人)は「ネオコンの始祖」であり、ブルッキングス研究所主任研究員の兄・ロバート氏も2001年9・11同時多発テロ事件後にイラクとアフガンの体制転覆を強く主張した保守派イデオローグだ。▶︎

▶︎現在、大手国防企業のゼネラル・ダさらにフレデリック、キンバリーのケーガン夫妻は各々のキャリアでペトレイアス氏と密接な関係がある。夫が米陸軍士官学校教授後の2010年に当時のペトレイアス駐アフガン米軍司令官の政治担当顧問、またハーバード大学オリン研究所で教鞭を執った妻も同時期に司令官戦略顧問としてアフガンに従軍している。文官の夫妻はともにアフガンだけではなくイラクの戦地にもいたのだ。
 ここからRUSIに繋がる。RUSIは1831年に初代ウェリントン公爵のアーサー・ウェルズリーが創設したもので、現在の会長はケント公爵のエドワード王子である。理事長は元副首相(メイ保守党政権)のデビッド・リディントン卿、名誉フェローが情報機関・MI6元長官のジョン・スカーレット卿。そして所長のカリン・フォン=ヒッペル博士は2016年5月に来日し、当時の安倍晋三首相と会談している。
 それはともかく筆者が刮目するのは、副会長に名前を連ねるペトレイアス米退役陸軍大将である。英王室に連なり由緒あるシンクタンクに、名誉職とはいえ、米軍の元最高幹部で情報機関・CIA長官経験者が深く関与しているのだ。想起すべきは、機密情報を共有する米・英・加・豪・ニュージーランド5カ国のアングロサクソン英語圏「Five Eyes(ファイブ・アイズ)」であろう。昨年末に米英両国はロシアのウクライナ侵攻計画を察知し、年初から米国、英国、カナダ、フランス、リトアニアなどの特殊部隊から成る「多国籍軍事顧問団」をウクライナ領土内に派遣していた。
 そしてウクライナ軍の訓練、作戦助言、情報提供、通信諜報の支援、西側兵器の輸送作戦に携わっていたのである。コードネームは「Allied Command Network(NATO・ウクライナ連絡チーム)」であり、作戦名は「Operation Spearhead(槍先作戦)」である。確かにロシア軍は南部ヘルソン州のドニプロ川西岸から撤退したが、クリミア半島死守のため東岸に強固な防御ラインを構築したとされる。依然として南部地域の戦況は不透明なところがあるものの、ロシア軍から首都キーウ、東部ドネツク州の要衝リマンに続き、州都ヘルソンを奪還できたのは「槍先作戦」が奏功したからだ。こうして見てみると分かるように、ウクライナ戦争はまさに「代理戦争」である。