岸田文雄首相は年明けの1月8日にも米ワシントンに向けて発ち、ジョー・バイデン米大統領と日米首脳会談を行う腹積もりでいた。ところが、バイデン氏が激動する国際情勢や国内の政治事情から日程調整が難しくなり、首相官邸は当初予定の外遊日程の変更を余儀なくされた。同9~10日、バイデン氏はメキシコを訪問する。カナダのジャスティン・トルドー首相、メキシコのロペス・オブラドール大統領との北米首脳会議に出席するためだ。
一方、第118回米議会が1月21日から始まるが、11月8日の米中間選挙で与党・民主党は上院で多数派を維持できたが下院では野党・共和党の過半数奪還を許したことで、ホワイトハウスの内政チームは年初から与野党“ねじれ”議会対策に奔走することになる。要するに、バイデン氏の日程が超過密ということである。しかし岸田氏は長年の懸案だった国家安全保障戦略など安保関連3文書改定を閣議決定したことで、1日も早くバイデン氏とのトップ会談を実現したいというのが偽らざる願いであったはずだ。筆者が承知する限り、現在官邸が検討中の訪米案は3つある。①訪米の前後に欧州3カ国(英・仏・伊)訪問、②訪米前にカナダを訪問、③訪米後に欧州3カ国とスイス・ダボス訪問――の3シナリオである。恐らく14日出発・18日帰国の強行日程になる。
いずれにしてもバイデン氏とのトップ会談は「マスト(must)」(政府関係者はバイデン氏との会談をそう呼ぶ!)であり、全てに優先される。つまり首相外遊はワシントン訪問を軸に日程調整される。換言すればバイデン氏の日程で決まるということなのだ。岸田氏は来年5月19~21日のG 7 広島サミットの議長を務める。「外交の岸田」を自任する同氏には日米同盟のさらなる強化を国内外にアピールする必要があり、バイデン氏との全面協力が不可欠なのである。さて肝心なのはバイデン氏だ。その理由の解は、12月21日昼過ぎ(米国東部時間)にウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領がワシントンを電撃訪問したことにある。▶︎
▶︎兆しはあった。ジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)が11月4日、ウクライナの首都キーウを訪れ、ゼレンスキー氏と会談している。そこで訪米を打診したのは間違いない。
その後、両国は水面下で交渉を重ねて12月16日に米側から正式招待が届けられて18日にはウクライナ側が受理した。ゼレンスキー氏の隠密行動はまさにスパイ映画並み、いやそれ以上だった。20日午後にウクライナ東部戦線の激戦地バフムトを出発しキーウ、リビウを経て隣国ポーランドのジェシュフ空港に到着(陸路約1200㌔を走破)。21午前8時過ぎ(米国東部時間)に米政府専用機ボーイングC-40Bで同空港からF15 戦闘機の護衛を得て、ワシントン郊外のアンドルーズ米空軍基地に向けて発った。ここで刮目すべきは、バイデン氏との首脳会談、共同記者会見後にゼレンスキー氏が米連邦議会議事堂で同日午後7時半(同)から英語で約30分間行った演説である。
その中で同氏は、1941年12月8日に旧日本海軍による真珠湾攻撃を受けて全米向けに行ったフランクリン・ルーズベルト大統領(当時)の演説「米国民は正義の力を通じて完全なる勝利を収める(The American people in their righteous might will win through to absolute victory)」を引用し、次のように続けた。「ウクライナ国民も絶対に完全なる勝利を収める(The Ukrainian people will win, too, absolutely)」。ゼレンスキー演説の国際社会に向けたメッセージは「Just Peace(公正な平和)」の一語に尽きる。同氏の共同会見発言「公正な平和とは、ウクライナの主権、自由、そして領土の一体性における妥協を意味しない」が全てを物語っている。
すなわちバイデン、ゼレンスキー両氏はロシアのウラジーミル・プーチン大統領に対してロシアを利するような停戦合意はり得ない、ウクライナが勝利する(領土奪還)まで米国は支援すると言明したのである。プーチン氏は翌日直ちに反応した。これまでウクライナへの軍事侵攻を「ウクライナへの軍事特別作戦」と表現していたが、22日の会見で初めて「ウクライナとの戦争」と述べたのだ。公正に判断しても国際社会におけるバイデン氏の存在感が急浮上したことは事実である。だからこそ岸田首相にとってバイデン米大統領との緊密な関係維持は極めて重要なのである。