それは昨年3月24日午後(現地時間)、ベルギーの首都ブリュッセルにある北大西洋条約機構(NATO)本部でのハプニングだった。NATO本部で開催された主要7カ国(G7)首脳会合直前のことである。 岸田文雄首相はボリス・ジョンソン英首相(当時)との会談後、ジョー・バイデン米大統領との立ち話が予定されていた。満面の笑みを浮かべ「ハ~イ、フミオ」と歩み寄るバイデン氏に、岸田氏も思わず「ハ~イ、ジョー」と応えて両氏は固い握手を交わした。左手を岸田氏の右肩に置いたバイデン氏の握手は続き、和やかに話す両首脳の様子はニュース映像で喧伝された。あまり知られていないが、岸田氏は英語が堪能での発音はネイティブ並み。 現場に居合わせた外務省幹部は、振り付けもない岸田氏の予想外のパフォーマンスに驚いたという。この“前科”があったので、年初の1月13日午前11時半(米東部時間)、ホワイトハウス(WH)南正面玄関の車寄せで岸田氏を出迎えたバイデン氏が旧知との再会のうれしさを隠そうとしなかったことに驚きはしなかった。
こうした両首脳の親密さが2時間余に及んだ日米首脳会談に与えた影響は決して小さくなかった。少人数会合(日本側:首相、林芳正外相、木原誠二官房副長官、秋葉剛男国家安全保障局長、山田重夫外務審議官、米側:大統領、ブリンケン国務長官、サリバン大統領国家安全保障担当補佐官、エマニュエル駐日米大使、キャンベル国家安全保障会議インド太平洋調整官)45分間、両首脳のテタテ会合(通訳のみ同席)約15分間、ワーキングランチ(日米双方から多数出席)約60分間――の厚遇となった。バイデン氏が2021年1月の大統領就任後、WHで会談した外国首脳は50人超いるが、ランチを共にしたのはわずか5人である。昼食設営が必ずしも厚遇とは言わないが、バイデン政権では極めてまれである。ちなみに21年4月16日にWH大統領執務室で行われた菅義偉首相(当時)とバイデン氏の首脳会談(ワーキングランチ)では、用意されたハンバーガーを両氏ともに口にしなかった。
ではなぜ、日米両首脳がかくも緊密であるかを書き連ねるのか。もちろん、そこには理由がある。第211回通常国会が1月23日に召集され、岸田氏は衆参両議院の本会議で施政方針演説を行った。その中で、防衛力の抜本的強化として「5年間で43兆円の防衛予算を確保し、相手に攻撃を思いとどまらせるための反撃能力の保有、南西地域の防衛体制の抜本強化、サイバー・宇宙など新領域への対応、装備の維持や弾薬の充実、海上保安庁と自衛隊の連携強化、防衛産業の基盤強化や装備移転の支援、研究開発成果の安全保障分野での積極的活用などを進めてまいります」と述べた。▶︎
▶︎てんこ盛りの印象は否めない。しかしこの列挙は、歴代米政権が抱いてきた対日不信、すなわち安全保障政策を通じた「国際貢献の不備」批判を払拭するためにも防衛力強化の具体策を示す必要があったからだ。実はバイデン政権下でも対日不信の予兆はあった。ウクライナ戦争の先行きが見通せず長期化不可避との見方が日を追うごとに支配的となった昨夏ごろ、表面化することはなかったが、米議会で日本批判の声が聞こえ始めていたのだ。いわく、ウクライナ支援で日本の貢献が不十分である。
いわく、台湾有事を言い募る日本は果たすべき役割について言及しない。22年9月に開かれた第77回国連総会での岸田氏の一般討論演説を控えた時期である。同5月の日米首脳会談(東京・元赤坂の迎賓館)で岸田氏はバイデン氏に防衛費の国内総生産(GDP)比2%を公約していただけに、岸田官邸は危機感を強めた。首相訪米の前さばきとして訪米した秋葉氏はカウンターパートであるサリバン氏や米議会有力者との協議を通じて米議会の不穏な空気を察知、帰国後岸田氏に報告した。こうして岸田氏は後に「日本の安全保障政策の大転換」(施政方針演説)と自賛する「国家安全保障戦略」など新しい防衛3文書の策定に傾注したのである。同文書は<我が国が優先する戦略的なアプローチ>として「危機を未然に防ぎ、平和で安定した国際環境を能動的に創出し、自由で開かれた国際秩序を強化するための外交を中心とした取組の展開」を挙げて、日米同盟の強化を強くアピール。「我が国の防衛体制の強化」をうたって、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を明記。「米国との安全保障面における協力の深化」を指摘して、米国による拡大抑止の提供を含む日米同盟の抑止力と対処力を一層強化―と結んでいる。要は、米側の期待にほぼ満額回答だったのだ。バイデン氏がすこぶる上機嫌というのも当然である。岸田氏は一連の外交・安保案件を通じてG7広島サミット(5月19~21日)に臨む腹積もりなのだ。そして隠し球として準備しているのが、日中韓首脳会談である。中国の習近平国家主席(共産党総書記)の最側近である李強・政治局常務委員は3月の全国人民代表大会で首相に選出される。
一方、韓国の尹錫悦大統領が「徴用工」問題の早期決着に前向きとされる。広島サミット開催前後に、韓国のソウルで「岸田・李・尹会談」が実現すれば“得点”となる。そして岸田氏が今、胸中に秘める衆院解散・総選挙シナリオは次のようなものだ。①6月会期末に野党の内閣不信任案提出→衆院解散(6月27日公示・7月9日投開票)、②今秋の自民党役員人事に合わせた内閣改造後の衆院解散・総選挙の、いずれかだ。であれば、1953年から今年まで末尾「3」年8回のうち6回目の衆院選挙となる。