3月14日付 岸田首相のウクライナ訪問はいつなのか 消えたサプライズ案…日独首脳、緊密さの異なった見方

3月17日に来日するドイツのオラフ・ショルツ首相は翌18日午前、岸田文雄首相と会談する。ショルツ氏は昨年4月に来日し、同11月にインドネシア・バリ島で開かれた20カ国・地域(G20)首脳会議時にも会談している。日独両首脳の緊密さが際立つ。岸田氏にはG7広島サミット(5月19~21日)が控えており、大歓迎であろう。だが、冷徹に考えると異なった見方が浮かぶ。 それはウクライナ支援に関わる問題である。ドイツは昨年2月のウクライナ戦争勃発当初、エネルギー供給のロシア依存が高いことから、ウクライナへの軍事支援に腰が引けていた。
 一方、日本は「防衛装備移転三原則」から殺傷能力がある防衛装備支援ができない。支援物資は防弾チョッキ、ヘルメット、テント、防寒服、毛布、発電機などだった。そして日独両国は第2次世界大戦の「敗戦国」でもある。嫌な表現であるが、共に“負い目”があった。それが今日の緊密さに繋がったと言える。こうした面もあり、筆者は1月下旬頃からショルツ訪日と絡めた「岸田氏ウクライナ電撃訪問」の可能性を探ってきた。なぜ、ショルツ氏なのか。時代は2002年のG8カナダ・サミットに遡る。当時のシュレーダー独首相は小泉純一郎首相と現地カナナスキスから日本の政府専用機に同乗して6月29日に来日、翌日のサッカーW杯決勝戦(ブラジル対ドイツ)観戦を果たした。▶︎

▶︎その「お返し」の発想から生まれたのが、岸田氏がショルツ氏の協力を得て独政府専用機でポーランドを訪れて、同地から車両と鉄道を乗り継いでウクライナの首都キーウ入りを果たすというサプライズ案だった。 実際、自民党幹部は「メイク・センス(筋が通っている)だね」と筆者に語った。加えて、国会日程からも可能性があることが分かった。20日に設定されていた首相の出席が求められる参院予算委員会の集中審議(7時間)が与野党交渉で日延べされたのである。
 ところが、いとも簡単にサプライズ案は潰えた。岸田官邸はキーウ電撃訪問検討の一方で、実はG20議長国のインド訪問も準備していたのだ。政府があらゆる可能性を追求するのは当然だと言われるとそれまでだ。この時期の訪印(19~21日)は想像の外だった。では、ウクライナ訪問はいつなのか。大型連休中では中国の習近平国家主席の後塵を拝する訪問になるのではないか。23年度予算成立後の3月末~4月初めしかない。