第211回通常国会の衆参議院予算委員会での与野党攻防が熱を帯びている。そうした中で、この間の岸田文雄政権の支持率下落に歯止めがかかった感が強い。メディア各社の世論調査は以下の通り。
NHK調査(2月10~12日実施):支持前月比3ポイント増の35.7%、不支持3.8P減の40.9%、時事通信(10~13日):支持1.3 P増の27.8%、不支持1.4P減の42.2%、朝日新聞(18~19日):支持±0の35%、不支持1P増の53%、共同通信(11~13日):支持0.2P増の33.6%、不支持2.2P減の47.7%、読売新聞・日本テレビ(17~19日):支持2P増の41%、不支持±0の47%、毎日新聞(18~19日):支持1P減の26%、不支持2P減の64%、日本経済新聞・テレビ東京(24~26日):支持4P増の43%、不支持5P減の49%――。支持が40%を上回ったのは「読売・日テレ」と「日経・テレ東」の2社であり、30%を下回ったのが「時事」と「毎日」である。永田町すずめの間では、前者調査の支持率が高めに、後者は低めに出る傾向にあるが「常識」になっている。それにしても「日経」の43%と「毎日」の26%には17Pもの差がある。両紙読者が岸田政権に抱く印象が大きく異なるような世論調査を、どう受け止めるべきなのか。筆者はかねてNHK、共同、朝日3社の平均値が政権支持率の「相場観」としてきた。計算する。支持はNHK35.7%、共同33.6%、朝日35%であり、平均値は34.7%である。不支持はNHK40.9%、共同47.7%、朝日53%の平均値47.2%だ。おそらく国民の支持は30%台半ば、不支持が40%台後半というものではないか。それでも不支持が支持を10P超上回ったままだ。「ここに来てやっと内閣支持率の下落は底を打った。後は衆参院予算委員会を乗り切り、首相外交で反転攻勢に打って出るだけだ」――。
筆者が先月下旬に会った自民党幹部はそう言い切った。改めて言及するまでもないが、この「首相外交」とは岸田氏のウクライナの首都キーウ(キエフ)訪問を指す。同氏のウクライナ訪問説は、昨年末から首相官邸周辺で取り沙汰されている。2月20日午前(現地時間)、ジョー・バイデン米大統領はキーウを電撃訪問、世界の耳目を集めた。さらに翌21日にはイタリアのジョルジャ・メローニ首相もキーウ入りした。これで主要7カ国(G7)首脳のうち現地でウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談していないのは岸田氏だけとなった。岸田氏はG7広島サミット(5月19~21日)の議長である。米伊首脳のウクライナ訪問直後、首相官邸幹部は筆者に嘆息交じりに「昨年末に行っておけばよかった」と吐露した。絶好のタイミングを逃したのだ。サプライズ外交は究極の政治決断が求められる。▶︎
▶︎だが、岸田氏はキーウ訪問を諦めていない。否、執念となっている。岸田官邸は首相の安全確保問題を念頭に実現可能な時期を探っている。現状では①3月18日に東京で開催する日独首脳会談のタイミングに合わせた訪問、②4月29日から5月7日までの大型連休中の訪問―のシナリオが想定される。オラフ・ショルツ独首相は昨年4月に続く来日である。ドイツはウクライナ戦争当初、エネルギー供給のロシア依存が高いことからウクライナへの軍事支援に腰が引けていた。日本は「防衛装備移転三原則」から殺傷能力がある防衛装備支援ができない。少々突飛なプロットだが、岸田氏がショルツ氏の協力を得て独政府専用機でポーランドを訪れて、同地から車両と鉄道を乗り継いでキーウ入りするというものだ。
先例がある。2002年のカナダG 8カナナスキス・サミット後、当時のゲアハルト・シュレーダー独首相は小泉純一郎首相の帰国に当たって同地から日本の政府専用機に同乗して6月29日に来日、翌日に横浜市で開催されたサッカーW杯決勝戦(ドイツ対ブラジル)観戦を果たした。その「お返し」という発想である。同案の難点は、岸田官邸が一方でひそかに検討していたインド訪問が確定したことだ。19日に発つ岸田氏は、ナレンドラ・モディ首相と会談する。20カ国・地域(G20)議長国のインド重視である。同地からウクライナ直行というサプライズの可能性はゼロではない。だが、ハードルは高い。大型連休中の訪問であれば国会日程に懸念はない。しかし、春から夏とされるロシアのウクライナ東・南部への大攻勢が現実味を帯びる中、首相の安全確保に不安があり、警護側に確たる自信がないという。中国の習近平国家主席が全国人民代表大会後の3月下旬にもロシアを訪れてウラジーミル・プーチン大統領と会談し、その後、ウクライナ戦争和平仲裁案を携えてキーウを訪問する可能性がある。岸田氏が習氏の後塵を拝して訪問すれば国際社会で笑い者になりかねない。
やはり、3月中の訪問になるのではないか。バイデン氏がウクライナ電撃訪問によって求心力を回復したことは周知の事実だ。これを目の当たりにした岸田氏はキーウを訪れて、ゼレンスキー氏との会談を通じてウクライナ国民と世界に連帯を示したいとの熱い思いを抱く。そのうえでG7サミット議長として、各国首脳と国際機関トップを前に改めて持論の「核兵器のない世界」をアピールする―。これは岸田氏が一昨年秋に政権を立ち上げてから胸中に秘めてきた夢である。不退転の決意といっていい。永田町では「たられば」は御法度であるが、仮に実現すればどうなるのか。年内9月の衆院解散・総選挙の可能性が一気に強まる。ツキがある岸田氏に狂歌「安倍がつき、菅がこねし天下餅、坐りしままに食うは岸田」を贈呈したい。