6月17日付 岸田首相「16日解散説」の真相…結局のところ、内閣不信任案セレモニーに過ぎなかった

6月14日午後、永田町は一時「すわ解散か!」とザワついた――。トリガー(引き金)となったのはフジテレビ系ニュースサイト「FNNプライムオンライン」が同午前11時47分、「16日内閣不信任なら“即日解散”岸田首相が表明検討」と配信したことだ。同午後0時過ぎに米ブルームバーグ通信がこの速報を受けて同趣旨を東京発で配信したことで騒ぎはさらに大きくなった。この種の話が刻一刻どのようにして雪だるまの如く大きくなって行くのかを見て取れる好例である。
 筆者の元に届いた第1報は午後1時13分のメ-ル。曰く、(早期解散説取材で)先行している日テレ(日本テレビ)が打つと思っていましたが、フジが打つとは。翔太郎(岸田文雄首相長男の前首相政務秘書官)⇒○○記者(実名)ラインを失い焦りでしょうか?16日提出と決まったわけではありません。「総理、重大決意」ってわけでもないですし―。その50分後にもメール。曰く、6/16 10:00~参院本会議 防衛財源確保法・刑法2法、成立見通し⇒6/16午後 立民(立憲民主党)から内閣不信任案 (解散の場合)6/16解散、6/27公示、7/9総選挙――。 斯くして午後3時半ごろまでには「6月27日衆院選公示・7月9日投開票」説が永田町と霞が関を駆け巡ったのだ。同日は午前から夕方まで締め切りに追われて午後2時前に事務所から指呼のラーメン店でラーメン麺少な目と餃子2個のランチを済ませたほか外に出ることは無かった。電話やメールでの問い合わせが多くあったのは永田町の騒然ぶりを示すものだった。 
 もう一つ今回の早期解散説との絡みで興味深い見立て、というか永田町関係者の解説と筆者の感想を紹介する。9日の「首相動静」が注目された。岸田首相は同日午後0時57分に東京・大手町の読売新聞東京本社を訪れて、渡邉恒雄読売新聞グループ本社代表取締役主筆と40分弱、懇談したと記述されている。同紙は翌々日から連載「政治の現場―会期末攻防」をスタートした。第1回の「会期末攻防①」は11日付朝刊の一面トップに「解散時期探る首相―『月内』『今秋』両にらみ」の見出しを掲げた“力作”である。筆者は毎朝、全紙を購読する事務所でいの一番に目を通す。▶︎ 

▶︎だが問題は、記事の内容よりも岸田氏が敬して止まない開成高校の大先輩である渡邉氏といったい何を話し合ったのかである。首相の専権事項である解散の時期について助言をもらったのか。月内の会期末の早期解散と9月頃の今秋解散のいずれが、来年秋の総裁選で再選=長期政権を確実に出来るのかという直截的な問いをしたのか。たとえ渡邉氏が「幾多の政局や内閣総理大臣誕生に深く関与し続けた“当事者”」(安井浩一郎著『独占告白 渡辺恒雄―戦後政治はこうして作られた』の「まえがき」)であるにしても、そこまで踏み込んだとは考えにくい。否、やはり岸田氏は本音を語り、一方の渡邉氏は政権交代選挙である衆院選に関する知見と体験を披瀝し、月内の早期解散を窘めたのではないか。
 事実、読売4面の見出し「問われる解散の大義」を掲げた記事中に《衆院解散の場合、岸田はその「大義名分」を説明する必要がある》と記されている。この「大義名分」がキーワードである。確かに同記事は《岸田は立民が内閣不信任決議案を提出すれば、「解散の理由にはなる」とみている》と続く。だが渡邉氏の助言は、実は「大義名分」にならないという点に重きがあったのではないかと、受け止めたのである。「16日解散」騒ぎは日本経済新聞(15日付朝刊)の「与党、今国会解散見送り論―岸田政権、マイナ巡り連日陳謝―内閣支持率、下落の兆し」が終止符を打った。同紙が言及したNHKの世論調査(6月9~11日実施)で支持率前回比3㌽減の43%、不支持率同6㌽増の37%となったことが致命傷だ。
 そうではなくても、岸田氏は7月11~12日にリトアニアの首都ビリニュスで開催される北大西洋条約機構(NATO)首脳会議出席、その後の中東3カ国歴訪(サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタール)をG7広島サミットに続く外交攻勢と捉えているのだ。最後は15日夕に岸田氏が報道各社のインタビューで「今国会での解散は考えておりません」と明言し、「16日解散」説に止めを刺して終わった。立民は内閣不信任決議案を衆院に提出したが、自民、公明の与党は同日午後の本会議で粛々と採決・否決した。結局、内閣不信任案セレモニーに過ぎなかったのである。