米紙ワシントン・ポスト(WP。8月7日付)の記事「China hacked Japan’s sensitive defense networks, officials say」は実に衝撃的だった。同紙記事を大々的に報じた読売新聞(9日付朝刊)の見出し「中国軍 防衛機密侵入―米、日本に警告―20年秋、米紙報道」からその重大性が理解できる。読売記事を要約すると、概ね以下の通りである。《WPは7日、中国軍のハッカーが不正アスセスにより、日本政府の防衛機密を扱うコンピューターシステムに侵入していたと報じた。米国家安全保障局(NSA)が2020年秋に発見し、日本政府に不正アクセスの重大性を警告したという。……発覚直後、事態を重くみたポール・ナカソネNSA局長と、当時のマシュー・ポッティンジャ―大統領副補佐官(国家安全保障担当)が来日し、「日本の近代史で最も損害の大きいハッキングだ」と伝えた》。2020年秋と時期の具体的な言及がある。米国はトランプ政権であったが、当時の日本が安倍晋三、菅義偉のどちらの政権下での出来事であったのかは特定していない。
だが、米側から指摘を受けた後、日本政府はサイバー防御策を強化したが、国防総省(ペンタゴン)は安全性が依然、十分でないと評価している(読売記事の概略)。由々しき出来事であるが、当時の政権(安倍、菅政権のいずれ?)が公表しなかったので我々ジャーナリズムは知る術がなかった。では、このWP記事に信憑性はあるのか?いや、これはまさしくスクープ記事なのだ。新聞各紙(9日付)は全く報じなかったが、件のWP記事を執筆したEllen Nakashimaは2014年と18年にピューリッツァー賞を受賞した日系米国人の敏腕記者である。1995年に記者としてWPに入社。その後、ホワイトハウス担当、東南アジア移動特派員を経て、09年から国家安全保障を担当しているプロフェッショナルなのだ。すなわち、信憑性は極めて高い。「読売」報道には警告を受けた当時の日本政府がサイバー防御策を強化したとある。
具体的にどのような防御策を講じたのか。同紙記事は、《政府は現在、重大なサイバー攻撃を未然に防ぐ「能動的サイバー防御(アクティブ・サイバー・ディフェンス)」の導入に向けた法整備の検討を進めている。自衛隊は、サイバー専門部隊(2022年度末時点で約890人)を27年度末までに約4000人に拡充する見通しだ。▶︎
▶︎ただ、サイバー対策強化には、高度な能力を持つ人材が欠かせない。民間からの登用が必要になるが、政府高官は「次官級の待遇でもトップ人材は集まらない」と指摘する。官民の協力体制を築く観点からは、機微情報に触れる権限を付与する「セキュリティ・クリアランス(適性評価)制度」の整備も喫緊の課題だ》と続く。やっと具体策の一端が見えて来た。
そこで筆者は、手元に保管している国家安全保障局(NSS)が年初に政府・与党の要路向けブリーフイング用に作成したペーパー『サイバー安全保障の強化に向けて』(A4版カラー刷り7頁)を改めて繰ってみた。同ペーパーには、2022年2月のロシアによるウクライナ軍事侵攻直前の21年1月からのウクライナ戦争とサイバー攻撃(物理空間とサイバー空間)のタイムラインが記述されているほか、「アクティブ・サイバー・ディフエンス(ACD)」の定義を次のように記している。「現状、国際的・普遍的な用語の定義はないが、脅威情報の活用により攻撃被害が出る前にリアルタイムな検知と阻止を目指すアプローチ」――。
我が国は内閣のサイバーセキュリティ戦略本部(本部長・官房長官)の下に各省庁の総合調整機関として内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター(センター長・官房副長官補)が設置されている。だが周知のように、日本のサイバーセキュリティ政策推進体制の内実は、米国の担当機関全体のそれと比して組織規模、予算、人員、法整備のいずれも彼我の差がある。そもそも防衛省が8月11日、24年度予算案の概算要求でサイバー防御や防衛装備の開発を担う技官や事務官を500人程度増員すると発表したことがニュースになるほど“お寒い現状”を露呈している。
嘆いているだけでは物事は進まない。松野博一官房長官はWP報道翌日の8日、記者会見で「米国とは平素から様々なレベルで緊密にやりとりしている」と語った。だが、バイデン米政権は「やりとりする」だけでは不十分であり、一日も早く中国などからのサイバー攻撃(工作活動)に耐えられる「普通のサイバーセキュリティ国家」になるべきと、米紙WPにリークしたのではないか。筆者は、実は古くて新しい米国の日本への「ショック療法」と疑っているのだ。