8月26日付 新時代に向かう先は――日米韓首脳会談の「成果」を読み解く

8月18日昼(米東部時間・日本時間19日未明)、日米韓首脳会談が首都ワシントン郊外のキャンプデービッド(大統領山荘)で行われた。翌日の新聞各紙の見出しは次の通りだ。読売新聞(20日付朝刊):「日米韓協力『新時代』―首脳会談、同盟の連携強化へ―朝鮮半島・台湾念頭、有事に迅速協議」、朝日新聞(同):「日米韓 安保強化―首脳、毎年会談で合意」、日本経済新聞(同):「日米韓、安保・経済で新時代―緊急時に情報共有、首脳・閣僚が毎年会談―中国リスク念頭に」。
 3紙の見出しに共通するのは、①日米韓協力関係(連携)が「新時代」を迎えた②3カ国の首脳以下、閣僚、安保担当高官が毎年会談する③この3カ国首脳会談開催は朝鮮半島・台湾有事を念頭に置いたもの――である。 この観点からすると、やや大仰に言えば、ジョー・バイデン米大統領が岸田文雄首相と尹錫悦大統領をキャンプデービッドに招いた3カ国首脳会談は、1978年9月の「キャンプデービッド合意」(当時のジミー・カーター大統領がイスラエルのメナヘム・ベギン首相とエジプトのアンワル・アサド大統領を同地に招請し、第1~4次に及んだ中東戦争の歴史的和解を仲介・実現したこと)に匹敵するかもしれない。
 先ず、キャンプデービッド内の「ローレルロッジ」で開催された日米韓首脳会談(全体会合)の出席者を確認しておこう。米側:バイデン大統領、アントニー・ブリンケン国務長官、ジーナ・レモンド商務長官、ジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)、ラーム・エマニュエル駐日大使、カート・キャンベル国家安全保障会議(NSC)インド太平洋調整官、ダニエル・クリテンブリンク国務次官補(東アジア・太平洋担当)、ミラ・ラップフーパーNSC東アジア・大洋州担当上級部長。韓国側:尹大統領、朴振外相、趙太庸国家安保室長、趙賢東駐米大使、金泰孝国家安保室第1次長、金恩慧大統領首席秘書官(広報担当)、崔相穆大統領首席秘書官(経済担当)、李忠勉国家安保室外交秘書官。日本側:岸田首相、林芳正外相、木原誠二官房副長官(政務)、秋葉剛男国家安全保障局長、嶋田隆首相首席秘書官、冨田浩司駐米大使、船越健裕外務省政務担当外務審議官、鯰博行外務省経済局長――(ホワイトハウス発表のプロトコル順の出席者)。▶︎

▶︎ひな壇の席次を見ると、バイデン氏の右隣がブリンケン、左隣はレモンド氏であり、尹氏の右は朴氏で、左が趙氏である。だが、我が国では奈良・平安期より歴史的に「左大臣が右大臣より上席」のため岸田氏の左に林氏、右が木原氏だった。各国の残る各5人は外交用語で「バックベンチ」と呼ばれるトップスリーが着席する椅子の後列に控えた。
 ところで、我が国の主要メディアは全く報じていないが、全体会合に引き続き別棟の「アスペンロッジ」で開かれた約1時間の3首脳ワーキングランチで日米2カ国の首脳同席者が交代したのだ。米側はレモンド商務長官からサリバン大統領補佐官、日本側が木原官房副長官に代わって秋葉国家安全保障局長である。この事実から見て取れるのは、そこでの議題が世界各地域の情勢分析と、その対応策に限定したという。それでは、今回の日米韓首脳会談の「成果」とはいったい何だったのか。取り敢えず1つだけ重要なポイントを指摘したい。発表された共同声明2文書(「キャンプデービッドの原則」と「キャンプデービッドの精神」)の後者について言及する。「The Spirit of Camp David」第2節の記述「……raise our shared ambition to a new horizon, across domains and across the Indo-Pacific and beyond.」(我々は領域横断的に、また、インド太平洋及びそれを超えた地域において、我々が分かち合う大きな野心を新たな地平に引き上げること)」が肝要である。「それを超えた地域」はウクライナを指す。メインテーマが中国を念頭に置く朝鮮半島・台湾有事、さらにインド太平洋地域における海上覇権行動だけでなく、それほど遠くない時期のウクライナ戦争和平・停戦及び復興協議も含めた対中抑止(牽制)策について話し合ったことを当該関係国に伝えたのである。事前に共同声明の草案作成作業に携わった日米韓3カ国の実務責任者は船越外務審議官(政務)、ラップフーパーNSC上級部長、李忠勉国家安保室外交秘書官である。取り分け、ラップフーパー氏と共に議論を主導した船越氏の労を多としたい。直前の8月10日付で外務審議官に昇格した船越氏にとってキャンプデービッド会合出席は、またとない前職(アジア大洋州局長)の“卒業式”であったに違いない。ちなみに船越氏は韓国語も堪能である。