No.683 9月25日号 全ては岸田・木原ラインが主導 

9月20日夜(現地時間),岸田文雄首相が滞在先の米ニューヨークのセントラルパークと道路ひとつ隔てたパークレーンホテルで行った内外記者会見での発言に関心が集まっている。「先週,(内閣改造・自民党役員人事で)新体制を発足させたところであり,先送りできない問題に,一意専心に取り組んでいく。いまはそれ以外のことは考えていないのが現状だ」――。
 この発言を奇しくも『日本経済新聞』と『読売新聞』は21日付夕刊で《早期の衆院解散・総選挙に(関して)否定的な考えを示した》とほぼ同じ表現で報じた。因って首相会見後,一夜にして早期解散が遠のいたとの見方が拡散した。それでも,岸田は焦点の経済対策の取りまとめを26日の閣議で新藤義孝経済再生相ら関係閣僚に指示するが,その裏付けとなる23年度補正予算案の国会への提出時期について記者団から問われても「適切な時期に提出する」と述べるにとどめたことから,永田町で依然として今秋の衆院解散説が燻っている。
 本稿では先ず,13日に実施された内閣改造・党役員人事について言及したい。起点は木原誠二前官房副長官の処遇にあった。想起すべきは翌14日の『読売』(朝刊3面)の「『刷新』より『安定』―内閣改造,幻の小渕幹事長・萩生田長官案」である。同紙は,内閣のスポークスマン交代は新鮮味が大きいとして,同じ安倍派同士の松野博一官房長官と萩生田光一政調会長の入れ替え案が内閣改造・党役員人事の俎上に載ったと書いた。だが,事実は真逆である。岸田が最初に想定したのは松野政調会長であり,そのための萩生田官房長官である。政調会長に松野を起用,サブに木原を据えることで自民党の政策立案機関・政務調査会を岸田官邸が掌握できるとの判断があったという。▶︎ 

▶︎誤解を恐れずに言えば,事実上の「木原政調会長」である。岸田の構想にはそれ以前に木原を幹事長代理として起用することで党運営に深く関与させる狙いがあった。官邸と党の連携強化のためリエゾンの役割だ。と同時に,政策立案・調整の主導権も官邸サイドに引き寄せる「岸田1強」体制確立を企図した。総裁・岸田から相談を受けた自民党本部職員の最高責任者・元宿仁事務総長が幹事長代理兼政調会長代理は先例がないと反対し,最終的に党則にない政調会長特別補佐に落ち着いた異例の人事である。萩生田は22日の会見で「軸足はしっかりと幹事長室に置いてもらった上だ」と述べ,牽制することを忘れなかった。
 次は,終に党4役に収まった小渕優子選対委員長の「幻の幹事長案」である。小渕を推したのは8月29日午後に開かれた故青木幹雄元官房長官の「お別れ会」で示唆した森喜朗元首相である。しかし,端からリアリティに欠けていた。一時期,岸田の頭の片隅に「森山裕幹事長」が過ったのは事実だが,麻生太郎副総裁の強い意向もあり,9月初旬になって茂木敏充幹事長続投は揺らぐことがなかった。それゆえに党3役は消去法で森山総務会長となり,空いた選対委員長のお鉢が小渕に回って来たというのが真相である…(以下は本誌掲載)申込はこちら