ウィンストン・チャーチル元英首相は80年余前の1942年11月10日,英国軍がエルヴィン・ロンメル将軍率いるドイツ軍アフリカ軍団を撃破した後の演説で「the beginning of the end(終わりの始まり)」という言葉を使った――。
そして永田町の一部で今,「岸田文雄政権は終わりの始まりに入った」と使われるようになった。内閣支持率の底割れは続いている。地方選挙で自民党の連敗が追い打ちをかける。内閣政務三役の辞任ドミノで「最大の不適材不適所は岸田本人だ」と叩かれる。次の総選挙を控える同党若手から「もう選挙の顔にならない。岸田政権は解散を打つ体力も残っていない」と突き放される。政権末期とまで言わないが,満身創痍である。前号の本誌で「弊誌は一貫して共同通信,朝日新聞,NHK3社の世論調査内閣支持率を足して3で割った数字が国民の相場観であると書いてきた」と記した。共同調査(11月3~5日実施):支持率前月比4P減の28.3%,不支持率4.2P増の56.7%。朝日調査(18~19日):支持率4P減の25%,不支持率5P増の65%。NHK調査(10~12日):支持率7P減の29%,不支持率8P増の52%。3社を足して3で割った最新支持率は「27.4%」である。世論調査でよく持ち出される「青木の法則」(内閣支持率と自民党支持率の合計50%を切れば政権維持が危険水域)の適用に至らなかった。だから未だ余裕があるという訳にはいかない。保守の社論で知られる産経新聞調査(11~12日)が支持率7.8P減の27.8%,いつも高めに出るとされる読売新聞調査(17~19日)は支持率10P減の24%となり,岸田官邸に超弩級の衝撃を与えた。
こうして見てみると,「内閣支持率の低さ」はもちろんだが,「不支持率の高さ」も際立つ。読売は3年目に入った岸田政権の支持率トレンドを分析している(同紙オンライン15日付webコラム)。それによると,政権の絶頂期(22年参院選勝利で支持65%)で,すでに若者離れが始まっていた。発足時から年代別支持率は若年層(18~39歳)が最も高かった。▶︎
▶︎ところが,この傾向は絶頂期から変化する。中年層が9P増の63%,高齢層が21P増の74%へ支持が急増したのに対し,若者支持率は62%から8P減の54%に低下する。支持構造が「若高老低」から「老高若低」へ切り替わった。その理由について,遠藤晶久早大教授(投票行動論)は「伝統的な自民党政権は,高齢層の支持が強いのが特徴だ。若年層の支持が高かった時期の岸田内閣,第2次以降の安倍内閣とその後継の菅内閣と同様の支持構造だったが,現在は安倍内閣以前の支持構造に回帰している」と指摘。
換言すれば,当初あった岸田政権の「改革」イメージと岸田自身の「優しい」印象が,2年余で雲散霧消してしまった感がある。岸田にとってさらに深刻なのは,地方選で自民党が負け続けていることだ。個別の選挙区事情はあるにせよ,政権与党に勢いがあればその風に乗って戦えるはずである。その象徴が東京・青梅市長選(12日に投開票)で自民,公明両党が推薦した現職候補が,国民民主,都民ファ-ストの推薦候補に敗れたことだ。自民党都連の会長の萩生田光一政調会長や地元選出の井上信治幹事長代理らが応援に入り秘書も張り付かせていたが,9000票近い大差をつけられた。9月の立川市,10月の埼玉・所沢市に続き首都圏の市長選で3連敗だ。10月の都議補選(立川選挙区定数2)でも自民候補は落選した。今秋の福島,宮城県議選でも自民は過半数を割り込んだ。地元・横浜市長選での敗北が退陣につながった菅義偉前首相の末期に似て来たとの指摘が少なくない。
次に控えるハードルは,来年1月21日投開票の東京・八王子市長選である。八王子は萩生田の地元で公明党の支持母体である創価学会の強固な地盤,与党が絶対負けられない選挙になっている。自公は新人の元都職員・初宿和夫を支援,都民ファは前都議・滝田泰彦が出馬表明,現状は一騎打ちの構図だ…(以下は本誌掲載)申込はこちら