先ずは、11月16日午後(米西部標準時間・日本時間17日午前)に米サンフランシスコで開催された日中首脳会談から説き起こしたい。岸田文雄首相は同地で有名なユニオン広場近くのホテル・セントレジス・サンフランシスコで、中国の習近平国家主席と予定時間を遥かにオーバーする約65分間会談した。
日中首脳会談出席者は以下の通り。中国側:日本側に向かって右から⑥藍仏安(ラン・フォーアン)財政部長、④江金権(ジャン・ジンチュエン)共産党中央政策研究室主任、②蔡奇(ツァイ・チー)共産党政治局常務委員・中央書記処書記(党序列5位)、①習近平(シー・ジンピン)国家主席(共産党総書記・序列1位)、③王毅(ワン・イ―)中央外事工作委員会弁公室主任・外交部長、⑤鄭柵潔(ジェン・シャンジェ)国家発展改革委員会主任、⑦王文濤(ワン・ウェンタオ)商務部長、⑧馬朝旭(マー・ジャオシュー)外交部副部長(注:数字は席次順=プロトコルオーダーを表す)。日本側:中国側に向かって左から⑥鯰博行外務省アジア大洋州局長、⑦大鶴哲也首相事務秘書官、③秋葉剛男国家安全保障局(NSS)局長、①岸田文雄首相、②村井英樹官房副長官、④嶋田隆首相首席秘書官、⑤船越健裕外務審議官(政務)、⑧太田学外務省アジア大洋州局中国・モンゴル第一課長(同様に数字は席次順)。この日中首脳会談出席者名と席次は非公表である。このリストから見て取れるのは、たとえ共産党(政治局常務委員・政治局員、中央書記処書記)が国務院(政府)を指導する中国であるが国務院の部長(大臣)が3人(外相、財務相、商務相)も出席したのに、日本側は王毅外交部部長のカウンターパートである大臣級の秋葉NSS局長のみだった。この席次から今回の日中首脳会談に向けた中国の意気込みが窺えた。その理由は、第1に現下の中国経済の低迷と金融リスクの高まりに危機感を強める習近平氏が、同15日のジョー・バイデン大統領との米中首脳会談に続く岸田氏とのトップ会談も“成功”させる意気込みで臨んだのは間違いない。
そもそも習主席訪米直前の9~10日にサンフランシスコ入りした腹心である何立峰(ホー・リーフォン)副首相(党中央財経委員会弁公室主任)が、ジャネット・イエレン財務長官、ジーナ・レモンド商務長官、キャサリン・タイ米通商代表部(USTR)代表らと精力的に会談を重ね、米中首脳会談の落とし所を探っていたのだ。▶︎
▶︎一方、日中首脳会談実現に向けて日本サイドはいかに対応したのか。岸田・習近平会談に先立つ11月9日夜、首相の外交・安全保障政策ブレーンである秋葉氏が北京を訪れて王毅氏と3時間半超に及ぶ事前協議を行っていたのである。この秋葉氏による王氏への強い働きかけがなければ、日中首脳会談は短時間で終わる可能性が高かった。米中、日中首脳会談後の中国側の反応に違いがあった。中国国営メディア及び外交部のウェブサイトでは、バイデン大統領との会談を「会晤(フイウ)」と表現し、岸田首相との会談を「会見(フイジエン)」と、位置付けの差別化をしている。前者は厳粛で重要な面会に用いるが、後者は重要度が少々軽い印象を与える記述なのだ。
では、なぜこうした「差」が生じたのか。もちろん、会談時間が4時間超と1時間余の違いはある。しかし、日中首脳会談の中国側出席者が共産党序列5位の蔡奇政治局常務委員、閣僚3人(その中の王毅氏は政治局員・外交部長)であり、日本側は閣僚級の秋葉NSS局長唯一人であった。同時期、同地に西村康稔経済産業相と上川陽子外相がアジア太平洋協力会議(APEC)、インド太平洋経済枠組み(IPEF)閣僚会合出席のため滞在していたのだ。人選ミスだと感じたのは筆者だけではあるまい。このように総括すると、中国側がなぜ対日、対米間に「差」を付けたのか理解できよう。習近平指導部は、実は国内の厳しい経済情勢からも一歩踏み込んだ対日関係の改善を望んでいた可能性が捨てきれない。岸田氏はビッグチャンスを逃がしたのか。
一方、10月26~28日に訪米した王毅外交部部長はワシントンでアントニー・ブリンケン国務長官、ジェイク・サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)と会談し、米中二国間関係からパレスチナ・ガザ情勢、ウクライナ戦争、台湾問題まで踏み込んだ議論を行っている(滞在中にバイデン大統領表敬も)。こうして約4時間のロングランとなった米中首脳会談は、米中双方が軍事トップ対話ルートを再構築し、リスクを管理し緊張のさらなるエスカレートを防ぐことで基本合意をみた。事実、王毅氏は首脳会談後の会見で「戦略的かつ歴史的なものであり、今後の両国関係の指針となる」と高く評価した。