2024年元日の午後4時10分,石川県能登地方(北緯37.5度,東経137.3度)を震源地とするマグニチュード7.6(暫定値)の「令和6年能登半島地震」の被害は,8日時点で,死者168人,安否不明者323人,石川県内避難者2万8160人に達した。加えて能登地方に強い寒気が流れ込み同日午前を中心に雪が降り,不明者の捜索や支援活動に支障を来すなど日を追うごとに被害が甚大となっている。住宅被害も全壊293棟(富山県16棟を含む),半壊57棟(石川31,富山25,新潟1),一部破損1657棟(新潟906,富山618,石川82,福井45,長野6)など悲惨な状況にある――。「今や(首相)官邸はボロボロだ。後手に回った災害対応はすべてが2日遅れ。1日深夜段階で死者が200人に及ぶことは明らかだった……」と,主要省庁中堅幹部が本誌に語ったのは6日夕である。
ここで時系列を検証する。首相官邸に官邸対策室が設置されたのは地震発生直後の16:11(同時に内閣府災害対策室設置)だった。そして,政府に能登半島地震特定災害対策本部が設置されたのは17:30,続いて能登半島地震非常災害対策本部が設置されたのが22:40で地震発生6時間30分後である。さらに石川県庁に現地対策本部(本部長・古賀篤内閣府副大臣)が設置されたのは23:22。遡る22:00に古賀ら内閣府調査チームが現地に派遣されている。
次に「首相動静」をチェックすると,元日夕方と2日両日に村田隆内閣危機管理監(元警察庁警備局長)の名前が無いことに気づく。地震発生から1時間余後の17:16に公邸から官邸入りした防災服姿の岸田文雄首相を筆頭に,林芳正官房長官,村井英樹官房副長官(政務),栗生俊一官房副長官(事務),松村祥史防災担当相以下内閣情報官,官房副長官補ら官邸官僚と関係省庁幹部らが同席するなか昨年末に健康を害して入院中だった村田の不在は大きかった(3日から体調不良ながら出席)。岸田官邸の初動の遅れの理由として挙げられるのが,霞が関官僚の頂点に立つ元警察庁長官の栗生がこの間,官邸と各省庁との調整力欠如という指摘である。
その上に,自民党安倍派(清和会)の政治資金パーティー収入の裏金化を巡る政治資金規正法違反(不記載・虚偽記載)事件捜査を指揮する森本宏最高検刑事部長・伊藤文規東京地検特捜部長ラインの捜査情報を全く取れないことに,岸田官邸幹部は苛立ちを隠さない。実際,首相周りトップの嶋田隆首相首席秘書官は深刻な「政治とカネ」問題打開のため,岸田総裁直轄の自民党政治刷新本部の11日発足に向けて最終調整に動く首相最側近の木原誠二幹事長代理に協力するのが手一杯状況である。嶋田の栗生不信は危険値に達しているとされる。パーティー収入裏金化事件で機能不全に陥ったのは茫然自失状態にある安倍派議員だけでなく自民党衆参院議員全体である。とりわけ北陸,甲信越,東北を選挙地盤とする議員がこれまでの1週間に全力を尽くして地元救援に動いた形跡は殆ど見られない。少なくとも本誌の「目」には映らない。国民の命を守り,安全策を講じ,被害を最小限にとどめるのは,政治の「イロハのイ」である。天災と人災が一緒にやってきて,正月気分が吹っ飛んだのだから暫くは岸田ら非常被害対策本部の面々には作業服姿で頑張ってもらうしかない…(以下は本誌掲載)申込はこちら