NHKの大河ドラマ「光る君へ」もあって、世は『源氏物語』ブームに沸いている。遅ればせながら筆者も、日本経済新聞文化欄に連載された「『源氏物語』を見る十選」(選者・稲本万里子恵泉女学園大学教授)に目を通しながら、津田塾大学の木村朗子教授の新刊『紫式部と男たち』(文春新書)を読んだ。大変面白かった。「物語が女の人生を照らし、男たちの政治をも動かす―」(同書の帯)にあるように、主人公の光源氏が学問を重んじていたとする木村氏は次のように述べている。<政治家たるもの、ゆるぎない学識があってこそだと紫式部は書く。それは天皇の外祖父になることをただ競い、天皇の親族であることを根拠として君臨する摂関政治そのものへの強烈な批判のようにもみえる。>
この摂関政治はもちろん、権勢を誇った天皇の外祖父・藤原道長を指す。木村氏を含む研究者に紫式部と道長が「男女の関係」にあったとみる向きは少なくない。その道長への批判である。ではなぜ、本稿で紫式部が描く平安宮廷社会の支配者・藤原道長に言及するのか。理由はある。自民党安倍派(清和政策研究会)の政治資金規正法違反(裏金)事件を受けて、岸田文雄政権の低迷は続く。その先行きに思いをはせたときに思い浮かんだ和歌である。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」だ。
その解は後に示す。 ここでは岸田首相の国賓待遇での訪米(4月8~14日)に触れる。岸田氏は11日午前(首都ワシントン時間)、米連邦議会上下両院合同会議で演説した。 戦後、首相の米議会演説は5人目である。吉田茂(1954年11月12日、上院)、岸信介(57年6月20日、上院)、池田勇人(61年6月22日、下院)、安倍晋三(2015年4月29日、上下両院)。 安倍演説が過去の総括に主眼があったのに対し、岸田演説は安倍氏の残した基盤の上に、日米同盟の未来に向けたメッセージに力点を置いたものだった。
その違いを岸田演説に探る。ポイントは2つある。①次世代に日米両国がどんな未来を残したいのか、そのためのグローバル・パートナーシップと、②日本が安全保障、経済政策でどのように変わりつつあるかを、首脳間だけでなく広く民主、共和両党、そして米国民に問いかける―が「肝」である。具体例を挙げる。筆者の手元にある演説草稿(英文)から該当するパラグラフを紹介する。<「自由と民主主義」という名の宇宙船で日本はあなた方の同船者であることを誇りに思う。私たちは甲板に立ち、任務を遂行する。そして必要なことを行う準備ができている(On the spaceship called “Freedom and Democracy,” Japan is proud to be your shipmate. We are on deck, we are on task. And we are ready to do what is necessary)>。
後段でこうも言っている。<私はここで、日本はすでに米国と甲板上にあり、協力する態勢にあると申し上げたい。あなた方は独りではありません(You are not alone)。私たちはあなた方と共にいます(We are with you)>。<私自身、日米同盟をより強固なものにするために先頭に立ってきました(I myself have stood at the forefront in making our bilateral alliance even stronger)>。▶︎
▶︎岸田氏の強い自負と、揺るぎない自信を感じる。と同時に、日米関係は今やイコールフッティングだと言っているように聞こえる。
少々、さかのぼってみる。岸田氏は2022年8月24日のグリーントランスフォーメーション(GX)実行会議で、それまでに再稼働した10基に加えて、設置変更許可7基の原子力発電所について23年夏以降に再稼働を進めると表明した。脱炭素電源比率の目標数値30年度59%(再生エネルギー36~38%、原子力20~22%)を明確にして、原発再稼働に舵を切ったのである。さらに同年12月16日の閣議では、国内総生産(GDP)比2%の防衛費増額や反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を明記した防衛3文書改定を決定した。防衛費総額を43兆円まで引き上げた。これまでの安保政策の大転換を図ったのだ。こうして4月10日の日米首脳会談後に発表された共同声明のタイトル「未来のためのグローバルパートナー」となった。そして3月22日に開催された月例経済報告等に関する関係閣僚会議で示された「政策の基本的態度」には、新たな成長型経済への移行に向けてあらゆる政策手段を総動員するとの記述がある。金融政策と財政政策の正常化が含意されている。それはアベノミクスからの独立宣言といえる。安倍氏が推進したアベノミクスの「三本の矢」(金融・財政・成長戦略)についての評価を想起すれば理解できよう。これらは安倍政権で実現できなかったことであり、安倍路線の軌道修正でもある。岸田氏が安倍氏を強く意識しているのは周知のとおり。胸中で「安倍超え」を決意しているのではないか。藤原道長が詠んだ「この世をば~」に戻る。安倍氏の7年8カ月の長期政権で「安倍1強」という言葉が生まれた。首相在任期間は2822日で憲政史上最長。安倍派は100人超の最大派閥。平安王朝シンボルの摂政道長に比肩するはいいすぎかもしれない。
しかし、筆者の脳裏をよぎったのは「藤原道長=安倍晋三vs紫式部=岸田文雄」というアナロジーだ。瞬時、「この世をば~」が口をついた。それは紫式部の道長への「ハチの一刺し」を連想させた。では、岸田氏は安倍氏を超えられるのか。一に懸かって9月の自民党総裁再選の成否による。そこへ至るまで越えるべきハードルは決して低くない。