自らを取り巻く環境がかなり厳しいものの,最近の岸田文雄首相はすこぶる上機嫌だという。5月23日夜に東京・内幸町の帝国ホテルで開かれた日経フォーラム第29回「アジアの未来」の晩餐会演説で予定時間を超えて饒舌に話した。その後,宴会場で国内外の出席者と挨拶を交わすなか笑顔を振りまきジョークを繰り返していた。3日後に控えた静岡県知事選,東京都議補欠選挙(目黒区)の自民党公認候補の勝機が見えたわけでもない。同日の26~27日に韓国・ソウルで開催される日中韓3カ国サミット(首脳会談)後,一時期永田町や霞が関の一部で囁かれていた北朝鮮電撃訪問実現の可能性を得ていたのでもない。では,なぜ機嫌が良いのか。
その解のヒントは,日本経済新聞(電子版25日午前5時配信)の「衆院解散,議席減らしても?首相のモデルは中曽根解散」(島田学記者)にある。同記事は次のように書いている<……低支持率でもなお解散観測は消えない。突然の派閥解消宣言など予期せぬ行動が恐れられている証左でもある。「いますぐか,まだ先かは分からないが,首相の解散のイメージは『中曽根解散』だ」。
最近,首相周辺からこんな解説を聞いた。25年夏には参院選がある。中曽根康弘元首相は1986年に衆参同日選を断行した。もしや首相も来年の衆参同日選を念頭に置いているのか――。そう尋ねてみると,どうも違うらしい。首相の頭にあるのは同じ中曽根氏の解散でも83年の解散の方だという。> ▶︎
▶︎本誌は得心するが,読者には少々説明が必要である。当該の83年11月28日(先負)に衆院が解散された通称「田中判決解散」の第37回衆院選は12月3日(友引)公示・同18日(先勝)投開票であった。改めるまでもないが,解散2カ月前の10月12日にロッキード事件の刑事被告人であり「闇将軍」であった田中角栄元首相に東京地裁(第一審)で懲役4年,追徴金5億円の有罪判決が下った。結果,自民党は逆風にさらされた衆院選で36議席減の大敗を喫し,単独過半数割れとなった。
だが中曽根は76年に自民党の河野洋平,西岡武夫らが離党して結成した新自由クラブと連立を組み,辛うじて過半数を維持した(86年に自民党に合流)。現下の自民党派閥を巡る裏金事件は当時を遥かに上回る逆風である。焦点となるのは岸田が解散を決断した場合の議席減のレベルだ。先の島田記事はこうも書いている。<現在の衆院勢力は自民党会派が258議席,公明党が32議席だ。自民の単独過半数維持には25,自公での過半数維持には57,そこまで減らしてもかろうじて政権は保てる。それを上回る議席減なら野党との連立政権が視野に入ってくる>。岸田はそこまで考えた上で9月の総裁選までの衆院解散・総選挙に拘泥しているのか。答えはイエスだ…(以下は本誌掲載)申込はこちら