あの1枚の写真をテレビニュースで観た瞬間、いくら何でもやり過ぎじゃないかと思った――。青空にはためく星条旗を背景に、銃撃されて右耳辺りから血を流すドナルド・トランプ前大統領が屈強なシークレットサービス(SS=大統領警護隊)の制止にも構わず右拳を突き上げているワンショットである。間もなく発売される米誌「TIME」(8月5日号)の表紙を飾る。AP通信の2021年度ピューリッツァー賞カメラマン、エヴァン・ブッチ(Evan Vucci)氏の「歴史を変えた1枚」は、米東部ペンシルベニア州バトラーで7月13日午後6時11分33秒(米東部時間・日本時間14日午前7時11分33秒)、共和党全国大会を2日後に控えた選挙集会で演説中のトランプ氏を標的とした最初の発砲があり、同6時12分54秒に警護要員に抱えられて専用車に移動するまでに撮られたものだ(タイムラインは米CNN報道を参照した)。殺傷能力が高いAR15型ライフルから発射された弾丸はトランプ氏がステージ脇のスクリーンを確認するため右後ろを向いたことで逸れて右耳たぶを貫通した。まさに九死に一生を得たのだ。
それにしても、ブッチ氏である。銃撃の瞬間はどこにいたのか。あのアングル(被写体の構図)から想起される写真が「硫黄島の星条旗」である。日本軍守備隊との間で1カ月余の激戦を続けた米海兵隊が硫黄島に上陸し、摺鉢山に星条旗を掲げたのは1945年2月23日。あの瞬間を撮った従軍カメラマンのアングルも二等辺三角形の構図だった。トランプ氏は警護要員に抱えられてステージ外の専用車に運ばれるまで鬼気迫る表情で観衆に向かって拳を突き上げて「Fight(戦うぞ)!」と3回繰り返した。そして聴衆は「USA、USA、USA」の大合唱で応えた。
つまり、ブッチ・カメラマンはその刹那を演壇があるステージ正面の右下からシャッターを切り続けていたことになる。銃撃犯トーマス・クルックス容疑者はトランプ氏に向けてトリガー(引き金)を引いて僅か26秒後に射殺された。その間に“次期大統領”暗殺未遂事件の現場をほぼすべてコマ撮りできた、そんな幸運など果たしてあるのか?「やり過ぎ」「でき過ぎ」といった疑問はこの1枚の写真から生まれたと言っていい。極論すればトランプ氏暗殺未遂は、同氏はこれまで民主党を団結させる一方、ややもすると共和党を分断する存在だったが、この銃撃事件で共和党の団結を招来する存在となり、他方ジョー・バイデン氏は民主党を分断させる存在となった。究極の皮肉である。▶︎
▶︎確かに、警護の地元警察、連邦捜査局(FBI)とSSの間で連携ミスがあったことは保守系FOXテレビも報じているし、現時点で説明が付かない疑問は少なくない。そうであっても、知人に教わった定理「オッカムの剃刀」にあるように、仮定(推測)を重ねても建設的ではない。もちろん、筆者は陰謀史観(Conspiracism)を採らないし、「事実は小説より奇なり」という言葉を改めて噛みしめる。
そしてサプライズは続く。米政治サイトAxiosが17日夕(米東部時間・日本時間18日早朝)に配信したAlerts(速報)。バイデン大統領がネバダ州ラスベガスを選挙キャンペーンで訪問中に鼻水やせきの症状が出たため、新型コロナの検査を受けたら陽性が判明したというのである。8月19~22日にイリノイ州シカゴで開催される民主党大会1カ月前のタイミングだ。これまた絶妙と言う他ない。党内外で高まる大統領選からの「撤退コール」に抗して止まないバイデン氏もさすがに年貢の納め時と悟るはずだ。今週末には撤退宣言を発出するのではないか。11月5日の大統領選でトランプ氏が勝利することは確実となった。
そこで注目していたウィスコンシン州ミルウォーキーで開かれた共和党大会最終日(18日夜現地時間・日本時間19日午前)のトランプ氏の大統領候補受諾演説である。トランプ氏はやはりトランプ氏だった。演説冒頭は声も口調も穏やかだったが、終盤は攻撃的な地金がモロに出た。「国家の結束・統一」を連発するも、民主党への歩み寄りは一切なかった。生死の境を経験したのに人間のDNAは変えられないことが改めて分かった。25年1月以降、主要国の外交・貿易担当者には「トランプ対策」のマニュアル本が必要となる。