国が違えども政治の先行きを見通すのは決して簡単ではない。つくづくそう感じたのはジョー・バイデン米大統領(81歳)が7月21日の米大統領選撤退表明後、それまで党内分裂が際立っていた米民主党は日を置かずしてカマラ・ハリス副大統領を後継大統領候補に指名した。波乱はなかった。 それどころか、ドナルド・トランプ前大統領の返り咲きだけは阻止したいと党内は一転して反トランプで結束を強めた。然るに、カリフォルニア州司法長官出身のハリス氏自らが「検察官VS犯罪者」というシンプルな対立構図を前面に出してトランプ氏への攻勢を強めている。それが奏功したのか、ロイター通信の世論調査(7月22~23日実施)でハリス氏支持44%がトランプ氏支持42%を上回ったのである。ハリス氏批判「最も左翼的な上院議員だった」や「史上最も無能な急進的左派」は、毎度ながらのトランプ節の「おまえはクビだ!(you‘re fired!)」を繰り返すなかでのフレーズでしかなく、黒人(父ジャマイカ人、母インド人)・女性・アジア系初の大統領候補を前に無力に近いものだった。
加えて、バイデン大統領が24日午後8時(米東部時間・日本時間25日午前9時)からホワイトハウスの大統領執務室で行った演説で「新しい声が必要な時と場もある。新鮮な声、若い声だ。まさにその時と場はいまだ」と国民に語りかけたのが効いた。若者が牽引した今回の「ハリス期待」現象は、無党派層がもともと有権者の中に根強く存在した「ダブルヘイター(double haters=トランプは嫌だが、バイデンも許容できない)」を吸収したうえで、78歳のトランプ氏より59歳のハリス氏の「若さ」に軍配を上げた証しとも言える。それにしても正直言って、主要7カ国 (G7)首脳会議メンバーであるドイツのオラフ・ショルツ首相が24日午後12時30分(中央欧州時間・米東部時間同午前6時30分)から首都ベルリンの首相府で行われた記者会見で「(ハリス氏が)勝利する可能性は十分ある」と述べたことには驚いた。
先ず、そのタイミングだ。まさにその24日夕(米東部時間)にイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相がワシントンDCの米連邦議会上下両院合同会議で演説している。同演説に先駆けてのショルツ氏の発言はネタニヤフ氏演説を標的にしたものだ。▶︎
▶︎もちろん、確信犯である。民主党下院議員約80人余はネタニヤフ氏演説をボイコットした。因みにハリス副大統領は遊説日程を理由に欠席している。ネタニヤフ首相は同演説で、パレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスがイスラエルを襲撃した2023年10月7日は「1941年12月7日(真珠湾攻撃)、2001年9月11日(米同時多発テロ)と同じように歴史に不名誉として永遠に刻まれる」と語った。当日、DCのキャピトルヒル周辺はネタニヤフ訪米抗議・演説反対を叫ぶ若者が中心のデモ隊で埋め尽くされた。その意味ではトランプ氏復権の願望を隠さなかったネタニヤフ演説もまた米国内の分断を加速させる要因となった。4年に1度の大統領選そのものが米国の「赤」(=共和党)と「青」(=民主党)への分断を煽っている面が大きい。
そしてハリス氏が大統領選に参戦したことで予想を超えた民主、共和両陣営の激しい対立は日を追うごとに尋常ならざる非難合戦の様相を帯びている。トランプ節はハリス氏への誹謗中傷どころか人格否定にまで踏み込む。これを繰り返し聞かされるトランプ氏の熱烈支持者はどう受け止めるだろうか、想像するだけで空恐ろしくなる。11月5日の投票日までまだ3カ月余101日もある。僅か20歳のトランプ氏狙撃犯の動機解明は終わっていない。シークレットサービス(大統領警護隊)の警備上の失敗を認めたキム・チートル長官の辞任だけでは事は収まらない。トランプ教熱烈信者のハリス氏への報復襲撃も十分にあり得る。
そうした中で岸田文雄政権は「トランプ大統領」誕生に備えて、かつて「ドナルド、シンゾー」とファーストネームで呼び合う仲だった安倍晋三元首相の通訳を務めた高尾直・駐中国参事官(政務担当・2003年外務省入省)を8月下旬までに本省に呼び戻す。総合外交政策局外交政策調整官説もあったが北米局日米地位協定室長に就くようだ。 日米首脳会談14回で計20時間10分に達した安倍・トランプ会談すべてに同席し、首相通訳を務めた高尾氏は、2019年5月に国賓来日したトランプ氏が安倍氏とゴルフを堪能した直後、同氏から「You’re Japan’s little Prime Minister!」と言われた。備えあれば憂いなし、ということのようである。この人事が奏功するのかどうか、3カ月後に判明する。