正直に記せば、筆者は昨年12月初旬頃から「情報消化不良」に悩まされて気分が今一つ晴れず、悶々とする日々が続いた。それは、石破茂首相の人間性に係わる情報の真偽を裏付ける証言が得られないことからくる「情報消化不良」ということだった。
まず、その発端から説明する。石破氏は昨年11月14~21日まで南米ペルー、ブラジル2カ国を訪問した。問題視されるのはペルーの首都リマで15、16両日に開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議(会場:リマ・コンベンション・センター)で出来した事案である。まだ記憶に新しいと思うが、このような出来事があった。APEC首脳会議初日の第1セッション開始前、石破氏は自席に近づいて握手を求めるマレーシアのアンワル・イブラヒム首相に座ったまま応じた。さらに会議の合間に挨拶に来たカナダのジャスティン・トルドー首相にも立ち上がらず振り向いて握手。この映像がSNSで拡散して炎上した。会議中に手元のスマホを操作しているシーンもあったし、大統領官邸での歓迎式典で多くの首脳が両手を前に手の平を重ねて式典を見守るなか、ムスッとした顔で石破氏だけが腕を組んでいる映像まで流れた。外交マナーに悖るとの批判の集中砲火を浴びた。本格的な外交デビューとされたのはリマでのAPEC首脳会談、続くリオデジャネイロでの主要 20カ国・地域(G20)首脳会議出席であったからだ。
然るに事前の準備は入念に行われた。それは石破首相へのブリーフィングだけでなくロジスティッ ク面でも同様である。首相随行団は、吉村麻央首相政務秘書官、中島朗洋(財務)、井上博雄(経産)、貝原健太郎(外務)事務秘書官ら、外交・安保政策の司令塔・秋葉剛男国家安全保障局長(当時)を筆頭に外務省から船越健裕外務審議官(政務。現外務事務次官)、赤堀毅外務審議官(経済)、鯰博行アジア大洋州局長(当時。現政務担当外務審議官)、有馬裕北米局長、野口泰中南米局長、石月英雄国際協力局長、片平聡経済局長、中村亮南部アジア部長、中村和彦地球規模課題審議官(当時・現国際法局長)ら多数である。ブリーフィングは石破氏が首相就任後、間を空けずリマに向けて出発直前の同14日午後まで頻繁に行われた。リマ滞在中に中国の習近平国家主席、ジョー・バイデン米大統領との会談も予定されていたのでアジア大洋州局長や北米局長も同行している。それだけではない。長く外交舞台から遠ざかっていただけにプロトコル(外交儀礼)上のマナーについても改めて学んだはずだ。▶︎
▶︎ここからが本題である。石破氏が16日午前9時(現地時間・日本時間同日午後11時)から約3時間の予定で始まったAPEC首脳会議第3セッション(テーマ:APECにおける包括的経済の前進、地球規模課題を踏まえたAPECの重要性)終了後の集合写真撮影に欠席したのである。朝日新聞(デジタル版・19日18時39分配信)記事に石破氏を除く出席した20カ国首脳の写真が掲載されている。写真クレジットに「午後0時32分、代表撮影」と記述されている。因みにAP通信は午後01時01分に世界向けに配信した。そもそも、この記念写真撮影にバイデン氏はボーッとした様子で5分遅れて現れた。他の首脳はひな壇(ステージ)でポーズを決める準備をしており、バイデン氏の姿が見当たらないと気づく場面でもあった。習氏は早くに撮影会場に入り、前列のボルアルテ・ペルー大統領の右隣を確保している。石破氏不在に気づいた首脳はいなかったようだ。
では、我が首相は何処にいたのか。午後0時35分、リマ郊外のカンポ・フェ・デ・ワチーパ墓地を訪れて、故アルベルト・フジモリ元大統領の墓に献花していたのだ(外務省ホームページ)。政府留守責任者の林芳正官房長官は18日の会見で「集合写真への出席を予定していたが、急に発生した事故渋滞により結果的に対応が困難となった」と説明した。時間を見比べて頂きたい。写真撮影は0時32分、墓地到着が0時35分。エクスキューズは端から無理だ。筆者が承知する事実は、墓地で合流するはずだった吉村政務秘書官が事故渋滞で到着が遅れたが、石破氏は先発せずに同女史を待つことを「選択」、結果として写真撮影に間に合わなかったというものだ。多くの人がブチ切れたが、当該者は口にチャックして語らない。APEC首脳集合写真の撮影に参加しなかったことの真相は、封印されたまま葬り去られるのだろうか。