「大負けしなければ勝ちと同じ」と自らを鼓舞
ドナルド・トランプ氏が米大統領に返り咲いて1週間後の1月27日(米東部時間)に経済都市ニューヨークと政治都市ワシントン発で発信されたニュースは、今年最大の国際的関心事である米中対立の先行きを見通す上で極めて重要な出来事であった。中国の人工知能(AI)ベンチャーDeepSeek(ディープシーク。梁文峰社長、本社・浙江省杭州市)は20 日、低コストで高性能な生成AIモデルR1開発を公表し、それは米オープンAI(サム・アルトマン会長兼CEO、本社・カリフォルニア州サンフランシスコ)が2022年12月に発表した対話型AI「チャットGPT」シリーズの最新モデル「GPTo1」(24年 12月発表)を一部上回る性能だと大きな反響を呼んだ。
瞬く間にAppStore で全米ダウンロード1位となった。27日のニューヨーク株式市場でハイテク株比率が高いナスダック株価指数は下落、AI半導体世界最大手エヌビディア(ジェンスン・ファン社長兼CEO)の株価は17%安と急落した。同社だけでも一夜にして時価総額5900億ドル(約91兆円)減少した。ハイテク関連企業の競争力が中国新興企業の台頭で低下すると懸念されたのだ。と同時に、首都ワシントンのキャピトルヒル(日本の永田町にあたる)関係者での対中強硬派サークルは「AIのスプートニク・ショックだ」と危機感を強めた。1957年10月4日に旧ソ連が世界初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、宇宙開発競争で後れを取った米国に衝撃が走った歴史とオーバーラップさせている。
それでも米側の専門家は冷静に受け止めている。「大規模言語モデル(LLM)のDeepSeek-R1は推論とコスト効率において目覚ましい進歩を示しています。しかし、AI競争は価格よりも能力が中心です。米国ではAI能力の急速な進歩と汎用人口知能の達成に注力することを優先しています」と、米マクロ経済アドバイザリー会社幹部は言う。▶︎
▶︎次のワシントン発ニュースの発信者は、実はトランプ氏その人である。トランプ氏は同日午前、インドのナレンドラ・モディ首相と電話会談した。両首脳は「公正な貿易関係」をテーマに協議する中でインドが米製軍事装備品の調達を増やすことで合意、さらに米印両国の戦略的関係とインド太平洋地域における日米印豪4カ国の協力枠組み「Quad(クアッド)」の強化で一致した。モディ氏は今年後半にニューデリーで開催予定のQuad首脳会議の議長である。中国と国境問題を巡って対立してきたインドは、昨年10月にモスクワで開かれたBRICS首脳会議の合間に5年ぶりの中印首脳会談が実現したものの、依然として関係改善に至っていない。
そこでトランプ氏はすかさず楔を打ち込んだ。2月半ば頃にホワイトハウスに招請したのだ。それでは石破茂首相が2月訪米でトランプ大統領との日米首脳会談を想定するタイミング(2月7日夜出発・10日午前帰国) と重なりそうだ。そもそも岩屋毅外相が1月20日のトランプ大統領就任式に外相としては初めて招待される厚遇を受けた。ワシントン滞在中にマルコ・ルビオ国務長官、マイク・ウォルツ大統領補佐官(国家安全保障担当)とそれぞれ会談しただけでなく、就任式翌日には日米豪印外相会合まで行われたのである。トランプ氏が昨年11月の大統領選以降、かつて故安倍晋三元首相と共に推進した「自由で開かれたインド太平洋戦略」に、なぜか関心がなくなったことに危機感を抱いたルビオ、ウォルツ両氏が「中国脅威」を改めてトランプ氏に刷り込むべくQuad体制の重要性を打ち出したのである。
換言すれば、トランプ新政権の外交・安保遂行ラインが用意した食事メニューに記載された「インド料理」と「日本食」のいずれかを、主のトランプ氏に選ばせる魂胆なのだ。恐らくインドを選択するはずだ。昨年10月来日時に、『世界秩序が変わるとき―新自由主義からのゲームチェンジ』(文春新書)の著者、齋藤ジンさんから聞いた話が想起される。「ゲームの胴元アメリカは世界第2位の中国経済が潰れても大丈夫です。インドを中国の代替に育てるから。人口動態も味方している」。得心する。では、石破氏訪米は実現しないのか?トップ会談が実現するとしても石破氏が胸襟を開いてトランプ氏と語り合う光景がイメージできない。ケミストリー(相性)が合うとはとても思えないのである。