日本の国家予算(約112兆円)を遥かに上回る資産運用残高1815兆円を誇る世界最大資産運用会社ブラックロック率いる投資家連合が、中米パナマのパナマ運河の港湾事業を香港の巨大複合企業、長江和記実業(CKハチソン・ホールディングス)から買収すると発表したのは3月4日のことだった。買収金額は228億㌦(約3.4兆円)。先ずは押さえておくべき事実関係から。ブラックロック創業者のラリー・フィンク最高経営責任者(CEO)は、これまた全米最大手の投資顧問会社ブラックストーン共同創業者のスティーブン・シュワルツマンCEOと共にトランプ共和党政権を支える米ビジネス界の2大巨頭である。
一方、裸一貫で巨大コングロマリットを築き「香港の巨人」と称される李嘉誠氏(96歳)が創業したCKハチソン傘下の港湾インフラ会社ハチソン・ポーツは世界の主要43港の権益及び施設を所有するが、その中に米軍の兵站・貿易ルートにとって不可欠なパナマ運河の太平洋側入口バルボア港と米軍事・貿易の優位性確保に必要な大西洋側入口クリストバル港の運営権が含まれる。ブラックロックは今回、パナマ港湾事業の運営権90%と、ハチソン・ポーツ社の株式80%も取得することで合意した。注視すべきは、ハチソン・ポーツ社が所有する43カ所の港湾には、インド太平洋地域のQuad(日米豪印4カ国)軍事兵站のために重要な豪州東部のブリスベン港、北大西洋条約機構(NATO)兵站の要であり、同時に中国が対欧州貿易で依存する欧州最大のオランダ・ロッテルダム港、英国最大の貨物コンテナ港のフェリクストウ港(中国はEU貿易に利用し、米国が軍事・経済安全保障で重視する)、そして中東サウジアラビアの石油輸出のハブであるジャザン港(米中両国共にエネルギー安全保障の観点で重視する)などが含まれているのだ。
換言すると、ブラックロックが正式にCKハチソン社からこれらの権益を譲渡されると、いったいどのような事態が待ち受けているのか。中国の国営メディアはこの買収合意発表を強く批判している。現状では中国当局が実力行使を伴う阻止の構えを見せていないが、これらの港湾施設が中国本土や香港の領域内にないにも関わらず反対するのには、もちろん理由がある。上記した港湾及び施設は、習近平国家主席の肝いりでスタートした国際インフラ投資戦略である「一帯一路」構想の一環として位置付ける重要戦略に不可欠なためだ。換言すると、中国の国際海運にとって重要な「チョークポイント(要路)」である。▶︎
▶︎それを承知するが故にトランプ大統領は3月24日、ジェイミーソン・グリア米通商代表部(USTR)代表に対し、中国の海洋支配に関する301条調査の公聴会を開くよう命じた。同公聴会で論議されているのは、USTRが提示する中国船籍・製船舶や中国海運の排除のため、米国の港に到着する船舶から入港1回あたり100~150万㌦(約1.5~2.3億円)徴収案である。中国は世界の新造船受注の約7割、世界の主要港湾に占める輸送量で約4割を占有している。要するに、米国は経済安全保障の観点からこうした中国の海洋支配にピリオドを打ちたいのだ。
しかし、「らしい」と言っていいトランプ氏はまさに同4日の第2期政権施政方針演説で、「民間と軍用の造船業を復活させる」と高らかに宣言しただけでなくホワイトハウスに「造船局」を設置すると明言した。米国でこの四半世紀以上、斜陽産業に向かってまっしぐらだった鉄鋼業に続く造船業を復活?本気かよと言いたくなる。だが、トランプ氏の頭の中では整合性があるようだ。「Ships(船舶) after Chips(半導体)」ということである。同氏の「アメリカ・ファースト投資戦略」では、大統領の諮問機関で省庁横断組織、対米外国投資委員会(CFIUS)が想定する中国からの戦略的米国セクターへの投資を制限する対象にテクノロジー、エネルギー、農業に並んできちんと「インフラ」が挙がっている。
それはともかく、このトランプ氏が目指す「中国締め出し」は米国内の海事産業の支援に直接結び付くとは思えないが、今や船舶建造能力断トツ世界一の中国の背中を遥か先に見る韓国や日本の造船業界には朗報と言う向きもあるようだ。トランプ政策は世界各地域に軋轢と対立を生み出す一方で、意外な副産物をもたらすことになるのかもしれない。