『吉川幸次郎全集 第5巻』(筑摩書房)の「中国の知恵――孔子について」。中国文学の最高権威、吉川幸次郎は、孔子における政治の重視を「論語」の以下の条によって説明する。《(弟子の)子路が自己の道徳的完成だけでいいのですか、と君子の資格について問う。対して孔子は「己れを修めて以って敬(つつし)め」と答えている。だが、子路はそれだけでいいのですかと無遠慮に反論する。 ――己れを修めて以(か)くて人を安(おさ)めよ。「人」とは自己に近い範囲の人間。子路は満足せず、詰問風の質問を繰り返す。
だが、孔子の答えは強烈である。――己れを修めて百姓(ひゃくせい)を安(おさ)めよ。堯舜(ぎょうしゅん)すらなおこれに病(なや)みしものを。「百姓」とは農民の意ではなく、すべての人民という意である。すなわち、為政者はすべての人民を安定させよ。それが君子の、つまり優れた人間の、究極の任務であるとするのである。それは堯舜(中国古代の賢明なる天子の意)のような優れた為政者にも困難であった。そして人間の任務が政治にあることを主張するもの――》。昨年の初夏、岸田文雄前首相は「岸田包囲網」が敷かれつつありながら、「私自身は四面楚歌であるとは感じていない」と強弁したことがあった。当時、菅義偉元首相が乾坤一擲「岸田降ろし」に踏み切った。後継候補として、石破茂元幹事長、加藤勝信元官房長官、小泉進次郎元環境相(肩書は当時)が有力視されていた。さらに高市早苗経済安全保障相や小林鷹之前経済安全保障相(ともに当時)も総裁選出馬の意向を明言した時期でもあった。筆者は、当時の岸田氏の胸中を推し量る言葉として、「君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る」を当コラムで紹介した。同氏は窮しているが動じていない、とよい意味で孔子を引用した。では、石破首相は今現在、自民党内でどのような立ち位置にいて、どのような政治環境下にあるのか。
まず明らかなのは石破氏にフォローの風が吹いていることだ。最新のNHK世論調査(6月6~8日実施)の結果がそれを示す。内閣支持率は前月比5.7㌽増の39.1%、不支持率は6.3㌽減の41.8%。自民党支持率は前月比5.2㌽増の31.6%。注目すべきは、①内閣支持率の上昇トレンドが加速中、②不支持率が予想以上の6㌽超減少、③自民党支持率が4カ月ぶりに3割台を回復――の3点だ。間違いなく石破政権にとって追い風が吹いている。確かに米価高騰をめぐり小泉農林水産相が随意契約による政府備蓄米の売り渡しを進めたことは「大いに/ある程度評価する」が74%に達した。「進次郎効果」だ。▶︎
▶︎一方、基礎年金の底上げを厚生年金の積立金を活用して行うことを盛り込んだ修正案を含む年金改革関連法は、自民、公明両党と野党第1党の立憲民主党が賛成したことで、今通常国会中の6月13日に成立した。自公が立民の修正案をほぼ丸呑みにしたのだ。この年金法への評価は「あまり/まったたく評価しない」が58%で、「大いに/ある程度評価する」の32%を大きく上回った。有権者はこの件については厳しい。
しかし与党の自公と最大野党の立民が、主要政策で一致をみるのは、とりもなおさず政治の安定に寄与する。筆者は、今秋に波乱政局があるとすれば、その要因の1つは石破氏と野田佳彦立民代表との近しい関係にあるとみていた。 つまりは自民と立民の接近である。実際に同法案が衆議院本会議を通過し参議院に送付された5月30日以降、参院選(7月20日)後の連立組み替えシナリオ「自公立」説が急浮上した。それまでは「自公国」への組み替えが最も実現性が高いとされ、石破氏は国民民主党の玉木雄一郎代表に親近感を抱いているとの見方が支配的だった。しかし、報道各社の世論調査で「国民、大躍進」を相次いで報じられたことが玉木氏を勘違いさせたようだ。そもそも年初から、所得税の非課税枠「年収103万円の壁」引き上げに固執し最終局面で与党との協議は決裂。参院選を控えて打ち出した目標「改選4議席から4倍の16議席以上」「比例1000万票」も玉木氏のおごりの産物だ。自民党執行部は石破総裁以下、森山裕幹事長、小野寺五典政務調査会長、鈴木俊一総務会長、木原誠二選挙対策委員長の党4役は財政規律派である。この事実は重い。玉木氏はこれを過小評価しているのではないか。
もちろん、党4役各人の主張には濃淡がある。また、この間6回に及んだタフな日米関税交渉の経緯をつぶさに検証してわかったことがある。石破・小野寺枢軸は「トランプ関税」対応に際しての「レッドライン」(超えてはならない一線)として、日本の国力低下を招く対米妥協は絶対に受け入れないことで一致している。国力の低下、すなわち赤字国債発行残高1068兆円(2023年度末)→信用格付け会社ムーディーズの日本評価は「A1」で韓国の「Aa2」を下回る→さらなる円安→物価高招来→経済対策として補正予算編成(財源は赤字国債)など財政出動となると、これは悪循環である。その阻止には財政規律が必須で、消費税減税など論外とする。対米交渉の肝は自動車・部品関税の25%だ。自動車産業の先行きは日本経済の根幹に関わるゆえに関税撤廃ではなく税率引き下げに照準を合わせている。と同時に、「自動車・北米依存」の一本足打法が永遠に続くわけではない。日本の産業構造の抜本改革なくして現下の国家的危機を乗り切ることはできない。石破氏にその自覚はあるのか。石破氏には孔子の「己れを修めて百姓を安めよ」を地で行ってほしい。