日本経済新聞に12月1日以降、今日までに3回も記事で取り上げられた米国の超大物テック経営者がいる。その人物の名前はピーター・ティール(Peter Thiel)氏である。同紙表記では必ず形容句「著名投資家の」が付き、「著名投資家のピーター・ティール氏」と報じられる。ティール氏(59歳)は各メディアで「米シリコンバレーの神様」、「テクノ・リバタリアンの象徴」などと称されるので、ご存知の方も少なくないはずだ。記事の日付を追って見てみる。1番目は、12月1日付朝刊8面の「経営の視点」に阿部哲也編集委員が書いた「米テックが期す『王の帰還』―AIの未来占う指輪物語」である。冒頭にこう記されている。<光と闇の戦いに勝つ。トランプ米政権に集う米テック経営者らはこうした考えを本気で政治思想にしている。多くはJ・R・R・トールキンの小説「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」が座右の書だ。著名投資家のピーター・ティール氏は最たる例である。> 2番目が、同4日付朝刊3面トップの「日本の防衛市場 日米争奪―重工3社、部門売上高2倍へ―軍民両用成長狙う」記事中に「米防衛テック 日本進出―アンドゥリル、純国産ドローン製造」の見出し付の別枠の記事がある。それとの関連でアンドゥリル・インダストリーズ創業者のパーマー・ラッキー(Palmer Luckey)氏インタビューが17面に大きく掲載されている。
注視すべきはその人物紹介文である。<……2017年に創業した同社もテクノリバタリアンの代表格とされる、著名投資家ピーター・ティール氏のファンドなどから出資を受けている。ロイター通信によると、米バンス副大統領もアンドゥリルに投資している。>3番目は凄い。8日付朝刊1面トップの連載企画「超知能(Superintelligence)」の「第3部仕事定義①」と題して、「AI時代の雇用―『求む!哲学専攻』、『倫理』関連職 5年で6倍―開発レースで思想対立も」の大きなヨコ見出しを掲げた記事だ。読み応えがあった。▶︎
▶︎冒頭の「AIが飛躍的な進化を遂げる超知能の時代に、哲学の重みが増している」で始まる同紙記事は、<……米スタンフォード大学で哲学を学んだ著名投資家のピーター・ティール氏は母校での講義録をまとめた2014年の著書で、常識にとらわれない合理的発想で世界を変えるべきだと主張している。…ティール氏は「効果的加速主義」と呼ばれる思想を体現する人物とみなされている。……テクノロジーを信奉する効果的加速主義者の一部は、民主主義に根ざす倫理観がAIの進歩の足手まといであると見なし始めている>と伝える。記事中に「暗黒啓蒙」という言葉が出て来る。
だが、筆者が知る限り大手新聞社発行の主要紙で目にすることはほぼ皆無であろう。そこでこの種のテーマについて早くから指摘していた橘玲氏が昨年3月に刊行した『テクノ・リバタリアン―世界を変える唯一の思想』(文春新書)を繰ってみた。 ドンピシャだった。同書PART3「総督府功利主義」に、件の「暗黒啓蒙」の言及がある。引用する。<ピーター・ティールはしばしば、「新反動主義」とされる。リベラルな啓蒙主義ヘのアンチテーゼで、「暗黒啓蒙(Dark Enlightenment)」とも呼ばれる。暗黒啓蒙の主要な論者はアメリカのブロガー、カーティス・ヤーヴィンとイギリスの哲学者ニック・ランドで、自由主義と民主政(デモクラシー)は両立できないと主張する。> そう、橘氏は言及していたのである。決済システム「ペイパル」やソフトウェア開発「パランティア(テクノロジーズ)」の創業者であるティール氏は、周知の通り、2016年の大統領選で勝利したドナルド・トランプ氏を囲む会を、民主党の牙城とされたシリコンバレーで当時の超大物ジェフ・ベゾス(アマゾン)、ティム・クック(アップル)、ラリー・ペイジ(グーグル)らと組織している。初めて政治に深くコミットしたのだ。日経記事で突如「効果的加速主義」と書かれてもピンと来ないが、橘玲氏によると、テクノロジーによる社会改革を目指す加速主義者である保守思想家ヤーヴィン氏を指すようだ。それにしても、幼少期に『指輪物語』全巻を暗唱できたというティール氏が背後に控えるアンドゥリル社とビジネスをする日本の重工3社は、よほどの覚悟が必要ではないか。創業者CEOラッキー氏は、上っ面だけで言えば何時でも何処でもアロハシャツ姿のビーチサンダルで臨むという。まさに未体験ゾーンを往くのだ。
