1月2日午後10時46分(米東部時間・日本時間3日午前0時46分)、ドナルド・トランプ米大統領が南米ベネズエラに対する地上軍事攻撃と、ニコラス・マドゥロ大統領拘束作戦の実行を指示した。米陸海空軍・海兵隊の戦闘機、戦闘ヘリ、ドローンなど計150機以上の軍用機を投入し、陸軍の第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊(通称「デルタフォース」=米ノースカロライナ州フォートブラッグに配属)と第160特殊作戦航空連隊(通称「ナイトストーカーズ」=米ケンタッキー州フォート・キャンベルに配属)の合同作戦による大統領邸宅奇襲が奏功した(3日午前1時1分~6分・日本時間同午後3時1分~6分)。拘束は5分で終えた。米側に人的被害はなかったが、ベネズエラ側の死者数は大統領警護チームのキューバ人32人を含む80人以上だった(キューバ人は同政府が派遣した工作員と米紙ニューヨーク・タイムズが報道)。こうした奇襲作戦の「成功」について政治サイトを含む米メディアは、ジョージ・H・W・ブッシュ(父)政権下の1989年12月にパナマに軍事侵攻し、翌年1月にマヌエル・ノリエガ将軍の独裁政権を打倒した作戦のアナロジーとする記事を多く掲載している。同報道に接した筆者は瞬時、頭に閃いた言葉があった。
その頃、半ば見栄で目を通した週刊誌『U.S. NEWS & WORLD REPORTS』のパナマ軍事侵攻によるノリエガ捕獲作戦を特集した記事中の「stoolpigeon」(おとりの鳩)である。物知りの知人に教えてもらった意味は「内通者or密告者」で米スラングという。和英辞書を繰ると「collaborator」か「informant」だ。何が言いたいのか。マドゥロ邸宅は要塞化していた。たとえ選りすぐりの特殊部隊員が奇襲したとしても米側が死傷者ゼロというのは、キューバ人警護チームはともかく、ベネズエラの秘密警察、軍情報機関員・護衛隊員の幹部級「通報者」をリクルートしていたことの証と言っていい。事実、米紙ニューヨーク・タイムズは、米中央情報局(CIA)が8月から首都カラカスや中北部の軍事施設がある都市に工作員を派遣し、ベネズエラ側の協力者(informant)を介して情報収集していたと報じている。そこには、マドゥロ氏の行動パターンから食習慣、服装、ペットの種類まではいっていたという。そういえば、先の『U.S. NEWS-』の詳述報道だけでなく、有名なジョン・ル・カレの『パナマの仕立屋(THE TAILOR OF PANAMA)』もパナマ運河統治を巡るスパイ合戦に良き家庭人である小市民が巻き込まれる姿を描いた作品だが、こちらにもノリエガ独裁政権打倒劇もスパイス代わりに使われている。
ここからが本題である。昨年末、筆者はNHKの「紅白歌合戦」も観ずに分厚い一冊の本に集中していた。若き友人の平田久典氏の大著『文化と戦争―なぜアメリカは「ベトナムの失敗」をくり返すのか』(新曜社。定価6930円)。大江健三郎に倣えば、「遅れて来た青年」である平田氏は半端ない修学キャリアを持つ。英アベリストウィス大学で修士号取得(戦略学・インテリジェンス学専攻)、英キングス・カレッジ・ロンドンで修士号取得(戦争学専攻)、北京大学国際関係学院で博士号取得(安全保障専攻)。先ず、分厚さだ。本文55万語(序章~終章と「おわりに」を含めトータル456頁)。本文とは別に、「注」(序章~終章まで101頁)、「人名索引」(7頁)、「事項索引」(20頁)、「主要参考文献」(39頁)がある。読むに当たって手に取るだけで怖気づく厚さなのだ。しかも2段組みである。著者の助言もあって、「おわりに」から読み始めた。直ぐに手元にピンク色のマーカーを用意した。そして読み進め、引き込まれた。▶︎
▶︎本書のキーワードは、「おわりに」でウクライナ戦争を論じた個所にある。引用する。<相手国の歴史・文化に無知なまま、非現実的な前提に基づいて非現実的な目標を追求した挙げ句、「予期せぬ結果」(と米政府が大騒ぎする事態)を招いて関係諸国に甚大な被害をもたらした点では、ベトナム・イラク両戦争に通ずる性質をもつ悲劇的事件といえそうである> 翻って、戦場はベネズエラである。さらにトランプ氏が「ドンロー主義」(19世紀のモンロー主義と自身のドナルドと掛け合わせた造語)を突き進めて、南米コロンビアや中米メキシコ、果ては北極圏の地政学的要衝のグリーンランド(デンマーク自治領)にまで蝕手を伸ばすと言い放つ。
ここまで来ると、発すべき言葉が見当たらない。平田氏は本書で、ジョン・F・ケネディ政権下の62年10月のキューバ危機時の核戦争勃発を寸止めしたケネディ兄弟の弟ロバートが回顧録で語っている言葉を紹介している。「キューバ危機の究極的教訓は、われわれ自身が他国の靴をはいてみる、つまり相手国の立場になってみることの重要さである」――著者はこの引用を<弟による兄の評価ゆえ、同書には美化された部分も含まれているのは確かである>とした上で、次のように続ける。<「他国の靴をはく」、「相手国の立場になってみる」ことの重要性は、あれから60年以上が経った今も、微塵も色褪せていないようにみえる>。この文言をトランプ氏に求める方が無理というものだろう。それではとばかりに筆者は、平田氏に直接聞いてみた。少々、長くなるがご寛容願いたい。「米国は伝統的に、武力行使において最も重要な政治目標とそれに次ぐ戦略をおろそかにする一方で、戦術に膨大なリソースを投入する傾向があります。実際、戦闘に関して米軍は比類なき存在です。ベトナム戦争でも米軍が『戦場』で負けることは殆どありませんでした。
しかし、米政府が掲げた『独立国家・南ベトナムの樹立』という政治目標は、きわめて非現実的なものでした。イラク戦争の大義『民主主義国家・イラクの樹立』や『中東の民主化ドミノ』も同じ。ベトナムでもイラクでも戦術レベルでの優位性では挽回できない政治・戦略レベルでの致命的ミスを犯したのです。では、ベネズエラでは?鮮やかな軍事作戦に賞賛の声も出ていますが、米国の戦術的卓越性を踏まえれば、何も驚くべきことではありません。問題はこれからです。同国の歴史・文化や社会情勢を考慮に入れた政治目的や戦略がない場合、当初描いたトランプ・シナリオ通りに行かず、大混乱を招来する可能性が高い」――。そう、これまで予想していなかった事態に陥った事例は数多ある。新年早々、世界は新たな火薬庫を抱え込んだ。
