全世界的な株価全面安は、一にかかってドナルド・トランプ米大統領の責任だと、市場関係者の多くが声を大にして吠える。これは決して極論ではないだろう。米首都ワシントンDCの「キャピタル・ベルトウェイ」(DCを囲む州間高速道路495号線をそう呼ぶ)内の政界関係者(日本流に言えば「永田町関係者」)は最近のトランプ氏について意見を求められると、黙して苦笑いで応えるか、半ば諦め顔でこう言うはずだ。「MAGAの支持が続く限り、トランプは何をやっても大丈夫という考えが強まり、さらなる強気な行動に走るループが出来上がってしまった」――。1月2日夜のベネズエラ軍事攻撃によるマドゥロ大統領拘束・連行に続き、2月28日午前のイスラエルとの共同作戦によるイラン攻撃で最高指導者ハメネイ師殺害に至る一連の軍事侵攻を通じて、米国の一般国民(有権者)の間ではトランプ氏の評価が著しく低下した。ロイター通信・仏調査会社イプソス合同調査で大統領支持率は36%となり、2期目の政権発足以降で最低水準となった。それもあってか、トランプ氏が内心の焦りや苛立ちから来る「怒りの発電機」化状態にしばしばなるのは周知の通りである。
だが、ここで指摘すべきはトランプ氏の岩盤支持層「MAGA=Make America Great Again(米国を再び偉大に)」の結束が緩む兆しが殆ど無いことだ。保守系シンクタンクはヘリテージ財団、スタンフォード大学フーバー研究所など数多あるが、最近はMAGA運動の司令塔・米保守連携機構(CPI)と連携し、「トランピズムの知的基盤」とされるクレアモント研究所(本部・カリフォルニア州アップランド)の存在感が高まっている。こうした保守系シンクタンクやFOXニュースに象徴される親トランプ系メディアの支援もあり、ホワイトハウス(WH)の意思決定は、今まで通り、いやそれ以上にトランプ氏の直観に基づいて行われるようになった。現下のペルシャ湾ホルムズ海峡の事実上の封鎖が米国を含む世界経済に与える影響は想定外の深刻な状況にあるが、このイラン戦争勃発でもMAGAは依然として強固であり、トランプ氏は国内外のからの反発や主要メディアによる集中豪雨的批判を物ともしていない。これまでも重大事態を乗り切ってきたとの自負があり、自分には神から授かった圧倒的な「自由裁量」があると思い込んでいるようだ。
さて、肝心な日本である。こうしたなか、衆院議院運営委員会(委員長・山口俊一元内閣府特命相=麻生派)は、インテリジェンス(情報収集・分析)強化が持論の高市早苗首相の肝いりで国家情報会議設置法案を今国会(第221回特別国会)で特に重要な「重要広範議案」に指定(法案提出)することを3月26日に全会一致で決めた。4月2日に衆院本会議で政府による趣旨説明と質疑を行い、その後、審議入りとなる。こうして国家情報会議の下にインテリジェンスの司令塔の総合調整機能を委ねられる国家情報局が今秋にも創設される。既存の国家安全保障局(局長・市川恵一前官房副長官補=1989年外務省入省)と同格に並べる組織となる。気が早いと言う向きもあろうが、初代局長に原和也内閣情報官(90年警察庁入庁)が確実視される。同氏は警察官僚のエリートコース警備畑を歩み且つ国際派でもある(英語とロシア語が堪能)。ただし、官邸の内閣情報調査室、法務省所管の公安調査庁、外務省国際情報統括官組織、防衛省情報本部など既存の情報収集・分析組織を糾合するだけでは、新設される国家情報局は主要国情報機関に伍していくことは出来ない。▶︎
▶︎筆者は、「国益を守るためには、質が高く、適切なタイミングを捉えた情報の収集・分析と高度かつ的確な意思決定を行う必要がある」(2月20日の施政方針演説)とする高市氏が、この国家情報局設置構想に強く拘泥してきたことを承知していたし、構想そのものにもちろん異論はない。
ただ、些かの懸念材料がある。昨年末のことだ。日本経済新聞(25年12月24日付朝刊)は「高市政権の国家情報局新設に懸念―谷内・元安保局長『屋上屋では』」との見出しを掲げて、初代国家安全保障局長の谷内正太郎元外務事務次官(現富士通フューチャースタディーズ・センター理事長)のインタビューを含む、興味深い記事を掲載した。<谷内氏は政府内の「インテリジェンスサイクル」の機能強化を訴えた。首相がどんな情報を求めているか、常に関係機関が把握し、収集に役立てる循環だ。このため情報を「上げる」だけでなく「共有する」「下ろす」流れが重要だと説いた>上で、<インテリジェンスサイクルを強めるため司令塔機能を備えた「合同情報委員会」の創設を提起した。定期的に各省間で情報交換する「合同情報会議」を改組し、内閣情報官を委員長、関係省庁の事務次官や審議官らをメンバーに据える>とした。 谷内氏は、言わば「外務省OBのドン」と呼ぶべき人物である。その谷内氏が、言葉を選びながらも「屋上屋にならないか、国民に丁寧に説明すべきだ」と同紙インタビューに答えたのは、「高市アジェンダ」に異論を唱えたに等しいと言えよう。同時に谷内氏ら外交・安保のプロフェッショナル7人は、「我が国のインテリジェンス能力の抜本的強化に関する提言書」(A4版12枚)を発表した。メンバーの島田和久元防衛事務次官、岡浩・前駐エジプト大使、高見澤將林元官房副長官補、林肇・前駐英大使、宮川眞喜雄元国家安全保障局参与、吉田圭秀前統合幕僚長はそれぞれ第2次安倍晋三内閣以降の谷内国家安全保障局長時代に職務上、深い繋がりがあった人物である。彼らの発言を無視することは難しいはずだ。一方で高市政権は今、岸田文雄政権下の秋葉剛男国家安全保障局長主導で22年12月に策定した国家安全保障戦略など安保関連3文書の年内改定に向けた有識者会議メンバーの選定を進めている。こちらは当時のメンバーだった佐々江賢一郎元駐米大使(現日本国際問題研究所理事長)、黒江哲郎元防衛事務次官以外に、伊藤公平総合科学技術・イノベーション会議議員(慶應義塾長)、山口寿一読売新聞グループ本社社長ら15人程度になるという。
最後に、日本経済新聞(3月27日付朝刊)名物コラム「春秋」で言及された堀栄三の『大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇』(96年5月刊行の文春文庫)から引用する。<日本の国策を決定するための基礎となる世界情勢判断の甘さが、大本営自身をも翻弄していたことが分かる。その挙句、大本営は周章狼狽する。打つ手が後手後手になっていく。そのツケは、当然ながら第一線部隊が血をもって払わなければならなくなる> 「情報職人」(解説を書いた作家・保阪正康氏)らしい指摘である。付言すれば、谷内正太郎氏は先達の英MI6に学べと言っていると聞く。果たして新設される国家情報局は、混迷する世界情勢を適切に判断できる組織となるのだろうか。
