少々前の英紙フィナンシャル・タイムズ(FT、7月25日付)の記事「Yang Zhilin, the rock star founder behind China’s Moonshot AI - Known as “ Yang the genius” by classmates, his new K3 model has closed the gap with leading US rivals(中国のムーンショットAIの創業者であるロックスターの楊植麟―クラスメートからは「天才ヤン」と呼ばれ、彼の新しいK3モデルは米国の有力ライバルとの差を縮めた)」は、極めて面白く読んだ。英語が必ずしも達者ではないが、スマホにFTのアプリを導入した筆者はこの数年間毎朝、国際的な他紙と比べて断トツで質が高い同紙主要記事の見出しだけでも目を通すことにしている。
では、本題に入る。ここに登場する眼鏡をかけた弱冠34歳の楊植麟(ヤン・ジーリン)氏。2023年にスタートアップの「月之暗面(Moonshot AI)」を立ち上げ、今年7月に高性能AI「Kimi K3」を発表し、その性能が今やタイクーン(Tycoon)化したオープンAIやアンソロピックなど米国勢の上位モデルに引けを取らない性能を示し、世界のテック大手やAI先達者を震撼させた。
その後、8月に入ると日本経済新聞(9日付朝刊)が「このヒト」欄で楊氏を取り上げて、プロフィールを紹介した。これを皮切りに、11日付朝刊のFT記事(7月23日付電子版の和訳)見出し「中国系AI人材、帰国を選択―米『頭脳囲い込み』戦略 試練」、さらに15日付朝刊の見出し「アップル入社蹴って起業―中国AI『Kimi』楊CEO、米テックの磁力低下映す」と続いた。
先ず、概略は以下の通りだ。1992年生まれで中国・広東省汕頭市出身、理系最高峰の清華大学に進学。同大学で熱工学からコンピュータ専攻に転じた。村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読み、プログラマーの主人公に憧れた。卒業後、渡米して米カーネギーメロン大学(CMU)で博士号課程を通常より2年短い4年で修了。恩師はAI研究者のルスラン・サラクディノフ教授。ロックを愛する楊氏は清華大学時代にドラム担当で愛称がKimi、社名は英ロックバンド「ピンク・フロイド」のアルバム「The Dark side of the Moon」に由来する。
楊氏は話題に事欠かない。同紙の山田遼太郎シリコンバレー支局記者の取材に対しカーネギーメロン大学のサラクディノフ教授は、最高経営責任者(CEO)直属の米アップル幹部が2019年頃、「楊植麟氏を当社に招けないか」と尋ねてきたと語っている。
同教授によると、当時の楊氏は理論研究と開発事務の両方をこなす逸材なので、アップルだけでなくグーグルなど米テック大手から採用オファーが殺到したが、帰国・起業する道を選択した。その結果、7月に発表した大規模言語モデル「Kimi K3」は、米オープンAIの最新・最上位モデル「GPT-5.6 Sol」や米アンソロピックの最新・最上位モデル「Claude Fable 5」には及ばないまでも、楊氏らムーンショットAIの開発チームの技術レベルは米トップ両社の基幹モデルにほぼ並んだというのである。驚愕のスピードで追いついたのだ。これには、当該のAI・半導体大手だけではなく、米国防総省国防高等研究計画局(DARPA)も戦慄が走ったと、米メディアが報じている。
さて、本稿で伝えたいのは、「天才のヤン」その人の事ではない。同氏のプロフィール紹介で必ず言及される米カーネギーメロン大学についてだ。
ペンシルベニア州ピッツバーグにある同大学は、「鉄鋼王」として知られるアンドリュー・カーネギーによって1900年に創立された。特にカーネギーメロン大学コンピュータサイエンス学部(CMU SCS)は、マサチューセッツ工科大学(MIT)、スタンフォード大学(SU)、カリフォルニア大学バークレー校(UCB)、ハーバード大学(HU)と共に全米トップ5として名高い。
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7月になって我が国で「国産AI連合」構想が急浮上したのは、高市政権が戦略17分野の中核にAI・半導体を位置づけ、官民投資のロードマップに「2040年度までに68兆円」と全分野の投資額370兆円の6分の1にあたる規模を明らかにした時だった。
耳慣れない固有名詞「Noetra(ノエトラ)」がメディアで取り上げられた。ソフトバンク、ソニーグループ、NEC、ホンダの4社を中核に企業44社に経済産業省所管の産業技術総合研究所(略称「産総研」)が協力して設立した会社が、Noetra(社長・丹波廣寅ソフトバンク常務委執行役員)である。
Noetra=産総研作成の小冊子(A4版横組12頁)の冒頭は、次のような文言で始まる。《我々の挑戦:フィジカルAIを見据えた、世界トップレベルの「マルチモーダル基盤モデル」を構築し、各産業のニーズに基づいた、国内のAI開発で使われる社会を目指す》。
これを読むと想起するのは、高市政権「日本成長戦略」の戦略17分野の1番目にある「AI・半導体:①フィジカルAI(特にAIロボット)→2040年度まで10.5兆円、②フィジカル・インテリジェント・システムの中核を担う半導体→2040年度まで68.0兆円、③バーティカルAI(領域特化型AI)→2040年度まで23.1兆円」の記述である。ここに先の「68兆円」が御座す。すなわち、高市成長戦略のコアは、このNoetra社設立とリンクしていると言っていいだろう。
そして筆者の関心は、このConfidential扱いの小冊子で言及されている「国内外のトップ研究者との連携により最先端のAI研究を推進」で5つの研究領域として紹介される一つ「エージェント」に「CMU Graham Neubig」と小さな字(顔写真付き)で記されていることに向かった。
そう、本稿前半の多くを割いた「ムーンショットAIの楊植麟」で「CMU」が目に付いたはずだ。米カーネギーメロン大学の略字である。何と我が国は総額1兆円の予算を計上した「国産AI連合」構想に連携する米国のグラム・ニュービッグ氏は、まさにカーネギーメロン大学コンピュータサイエンス学部准教授なのだ。同大助教授に奉職したのは2016年9月。そう、楊氏が博士課程に在籍中のときである。
懸念すべきは、情報流出である。なにもニュービッグ氏個人に疑いを抱いているのではない。中国の習近平指導部は過日、国内のAI・半導体開発・研究者の出国制限を発表した。頭脳流出を阻止するのは当然だ。そしてそれ以前に技術窃盗・漏洩もご法度である。
なぜ、そこまで言うのか。それほど昔ではない。かつて産総研に在籍した中国人研究員が多くの技術持ち出し、情漏洩があった事を忘れてはいけない。