自民党の塩崎恭久元官房長官が今秋の次期衆院選に出馬せず、引退する意向を表明した。 同氏とは親しく永いお付き合いをしてきた。寝耳に水とはまさにこのことで、19日の地元・松山市の記者会見で想像だにしなかった引退表明である。
先ずは塩崎氏のプロフィール。父・塩崎潤元経企庁長官の引退を機に、1993年7月総選挙に衆院旧愛媛1区から出馬し、初当選。95年に参院へ鞍替えするも00年6月の総選挙で再び当選、現在8期目である。外務副大臣(第3次小泉改造内閣)、官房長官(第1次安倍内閣)、厚生労働大臣(第2次安倍改造内閣)を歴任。97年7月にタイ通貨バーツの暴落を発火点とした「アジア通貨危機」は瞬く間にアジア諸国に伝染、日本を含む世界経済に多大な影響を与えた。翌年の通常国会は「金融国会」となり、我が国金融機関の不良債権処理や破綻処理をめぐる与野党協議で中心的な役割を果たした若手議員を「政策新人類」と呼んだ。
自民党の塩崎、石原伸晃(元幹事長)、渡辺喜美氏(当時)等と、民主党の枝野幸男(現立憲民主党代表)、古川元久(現国民民主党国対委員長)氏等のことである。因みに渡辺氏は後に金融・行革担当相(第1次安倍内閣)を歴任し、古川氏はピカピカの旧大蔵省OBだ。▶︎
▶︎さらに言えば、塩崎氏は日銀出身であり、大蔵政務次官を経験している。加えて父・潤氏は旧大蔵省主税局長から政界に転出した。金融・財政の遺伝子(DNA)磁力が関係しているのかも知れない。肝心なのは塩埼氏である。安倍晋三前首相の「お友達」とよく言われた。99年頃、同世代の根本匠元厚労大臣、安倍、石原、塩崎各氏の頭文字を取った「NAISの会」結成も想起されよう。何を言いたいのか。
7年8カ月に及んだ安倍長期政権下で実現した社外取締役制度導入、公務員制度改革、社会福祉法人改革など数々の「ガバナンス改革」を主導したのが改革派・塩崎氏であったという事実だ。その象徴と言えるのが、自民党政治制度改革実行本部長の塩崎氏は14日に党本部で開かれた会合で党運営と国会のデジタル化に関する提言書をまとめ、引退表明前日に菅義偉首相に手渡したことである。そして引退会見で「政策課題が形になり区切りがついた」と語ったのだ。であるとしても、つい先日まで大学法人改革について文科省とバトルしていたのが、今なぜ引退なのかという疑問は残る。