1月24日付 岸田首相のは欧米5カ国歴訪、米国の厚遇ぶりと予想を超える成果 岸田首相の欧米5カ国歴訪 冷戦の歴史を想起させる講演場所とタイミング

公正を期して言えば、岸田文雄首相の欧州3カ国・北米2カ国歴訪は事前の予想を超える成果となった。 最後の訪問地・米ワシントンでのジョー・バイデン大統領との日米首脳会談は、両首脳のテタテ会談(通訳のみ同席)、少人数会合、ワーキングランチを含め2時間余に及んだ。その厚遇ぶりは、1月13日午前11時過ぎにホワイトハウス(WH)南正面玄関で満面の笑みでバイデン氏が出迎えたこと、大統領就任後、これまでにWHで会談した外国首脳は57人だがランチを共にしたのは僅か5人であることからも窺えよう。筆者が注目したのは、岸田氏が同日午後3時からジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)ライシャワー東アジア研究所(ケント・カルダー所長)で行った講演であった。
 その理由は「場所」と「タイミング」にある。 SAISのニッツェ校舎の講堂が講演会場だ。米ソ冷戦時代に、中距離核戦力全廃条約(INF)交渉の米首席を務めたポール・ニッツェ元国防副長官に因んで名付けられた。同氏はSAISの共同創設者でもある。25年前の97年、ドイツ政府はSAISに冷戦の平和的終結の象徴として「ベルリンの壁」を寄贈した。そしてニッツェ校舎の講堂に飾られているのだ。▶︎

▶︎ちなみに冷戦真っ只中の83年5月27日、当時の中曽根康弘首相はロナルド・レーガン大統領との会談後、SAISで講演している。40年前のことだ。ロシアによるウクライナ侵略からほぼ1年が経った。
 一方、中国による台湾の武力統一の懸念が強まり、現下の国際情勢は第2次冷戦時代の到来の様相を帯びている。こうした中で、岸田講演「歴史の転換点における日本の決断(Japan’s  decisions at history’s turning point)」はまさに冷戦の歴史を想起させる場所とタイミングで行われたのだ。岸田氏が講演で強調したのは、①G7を中心とする同志国の結束の強化、②いわゆる「グローバルサウス」と呼ばれる国々との関係、③日米両国にとっても最も中心的な課題である中国との関係―についてである。このスピーチは大鶴哲也首相事務秘書官を中心に作成された。そして講演セッティングは河邉賢裕北米局長が知己のカルダー氏と相談、入念な準備で臨んだ。河邉、大鶴両氏は平成3年外務省入省の同期である。