3月17日夜、韓国の尹錫悦大統領・金建希夫人は帰国の途についた。率直に言えば、歴代の韓国大統領の日本訪問に比べて尹大統領は国民に好ましい印象を残した。とりわけ耳目を集めたのは父・尹起重氏との父子「東京体験」の心温まるエピソードである。著名な経済学者で漢陽大学助教授だった起重氏は一橋大学大学院経済学研究科に留学経験(1966年から68年)がある。
そして当時小学生の錫悦氏は、大学所在地の東京・国立市のアパートで父と暮らしたこともある。尹氏は大統領訪日に随行した朴振外相に当時の思い出を語ったことがあるというのだ。確かに韓国は尹氏が東京を訪れた60年代半ばから急激な経済成長を成し遂げ、90年代には経済協力開発機構(OECD=通称「先進国クラブ」)入りするなど「漢江の奇跡」と称された。
ところが目の当たりにした東京は祖国の首都ソウルを遥かに上回る先進国であり、その印象を「銀座」の地名で自らの頭に刻み込んだ、と朴氏に述べたという。その原体験が大きな話題となった「夕食会のはしご」につながったのである。16日夜、岸田文雄首相主催の夕食会は銀座のすき焼き店「吉澤」(大正13年創業)で催され、その後2次会が近くの洋食店「煉瓦亭」(明治28年創業)だった。▶︎
▶︎韓国側は事前に外交ルートを通じて「大統領が銀座でオムライスを食べたいと強く希望している」と要請してきたのだ。
一方で、昨年11月に訪韓した自民党の麻生太郎副総裁が尹氏と会談した際、オムライスの味を忘れられないと聞き出していた。もちろん、このエピソードは首相官邸サイドに伝えられていた。では、尹氏はオムライスが名物の「煉瓦亭」にいつ訪れたのだろうか。恐らく82年から一橋大学客員教授だった父・起重氏が当時ソウル大学法学部学生の錫悦氏を伴って訪れたのではないか。大統領は94年の検事任官後に東京を訪問したことがあると回想しており、その折にも再訪したに違いない。
なぜ、「銀座」と「煉瓦亭」に拘るのか。理由がある。「日韓首脳正常化で合意―シャトル外交、軍事情報協定―首相、徴用工解決策『評価』」(産経新聞3月17日付朝刊)でも分かる。尹氏は日韓関係改善を優先して「元徴用工問題」解決に向けて対日譲歩を決断したのだ。昨年5月の大統領就任に当たって、尹徳敏現駐日大使に「これは俺に課せられた使命だ」と語ったという。岸田氏は学ぶところ大である。