5月21日に閉幕した主要7カ国首脳会議(G7広島サミット)の大成功は,岸田文雄首相にとってまるで厳島神社(広島県廿日市・宮島)のご加護のようなフォローの風となった。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領はロシアと戦火を交えるウクライナからフランス政府専用機を駆って電撃参加,そして米政府の借入金「債務上限」問題で来日が危ぶまれたジョー・バイデン大統領もエアフォース・ワンから降り立った。
こうしたサプライズやツキが無ければ,広島サミットは「気が抜けたビール」と揶揄されていたかもしれない。岸田はプロ野球の野村克也監督の発言で有名となった「勝ちに不思議な勝ちあり,負けに不思議な負けなし」の思いだったに違いない。いずれにしても勝てば官軍である。今や「最新の民意を問う」フリーハンドを完全に掌中に収めた。天下無双状態になりつつあると言っていい。
先ず,岸田にそれを確信させた「ゼレンスキー招待」実現に至るプロセスについて本誌取材をもとに詳述する。対面参加の意向は最側近のアンドリー・イェルマク大統領府長官にアクセスがある松田邦紀駐ウクライナ大使から厳秘扱い公電で外務省に伝えられた。▶︎
▶︎4月25日,首相官邸で岸田,秋葉剛男国家安全保障局長,森健良外務事務次官,山田重夫外務審議官(政務),小野啓一外務審議官(経済)が協議したのが最初だった。28日には中込正志欧州局長,北川克郎サミット事務局長も加わり,岸田が招待する基本方針を示した。その準備に着手すると同時にG7首脳各国(国際機関長を含む)と招待国側の理解を求めることも合わせて指示した。シェルパの小野が中心となるチームが担った。山田は首相の3月ウクライナ電撃訪問時と同様に総合外交政策局,欧州局から選出されたチームを率いてロジ対応などに当たった。
いずれにしても保秘態勢が周知され情報管理はほぼ鉄壁のものだった。最後は「大型連休明け」(日経報道)ではなく5月12日に岸田,秋葉,森,山田,小野の鳩首協議(公邸)で招待を決定した。ゼレンスキーが搭乗した仏空軍所属の政府専用機(Airbus A330-243)については,流布された米空軍機利用は途中で給油が必要となり広島空港まで直行できず,14日にパリで行われたマクロン仏大統領との会談でゼレンスキーが要請した時点で事実上決まり,在日仏大使館が5月17日に外務省に対し通報した(因みに同機には仏大統領補佐官が同乗した)…(以下は本誌掲載)申込はこちら