岸田文雄首相は今、高揚感に満ちているに違いない。広島での主要7カ国首脳会議(G 7 サミット)がウクライナのゼレンスキー大統領参加のサプライズもあり、成功裏に終わったからだ。サミット後の報道各社の世論調査では内閣支持率が急上昇、東京証券取引所の日経平均株価も3万円台を超えるなど、ここに来て与党・自民党内から早期の衆議院解散・総選挙を求める声が高まっている。そのタイミングを計る岸田氏の心境を例えるならば、正岡子規の有名な短歌「真砂なす 数なき星の 其の中に 吾に向ひて 光る星あり」(空に散らばる無数の星の中に、私に向かって光る星がある)がふさわしいのではないか。決断して実行すれば、成果が得られる―との確信を抱いた岸田氏は今や「最新の民意を問う」フリーハンドを得たといっていい。
まず「ツキまくる岸田」を「無敵の岸田」に変貌させた要因となったサミット効果をおさらいしたい。指摘しておくべきは、ゼレンスキー氏の対面参加を別にしても、G7首脳に拡大会合(アウトリーチ)招待国首脳を加えたサミット協議で共有された対中国メッセージである。その兆しは、開幕前日に行われた日米首脳会談(日本側:岸田首相、林芳正外相、木原誠二官房副長官、秋葉剛男国家安全保障局長、冨田浩司駐米大使、山田重夫外務審議官・政務担当、米側:バイデン大統領、ブリンケン国務長官、サリバン大統領補佐官・国家安全保障担当、エマニュエル駐日米大使、キャンベル国家安全保障会議<NSC>インド太平洋調整官、オマリーディロン大統領次席補佐官が参加)にあった。岸田氏が中国を念頭に「日米同盟はインド太平洋地域の平和と安定の礎」と切り出すと、バイデン氏は「日米が共通の価値観の下で行動していることを誇りに思う」と応じた。このやり取りが、キーワード「法の支配」で一致する契機となった。
一方でサミット首脳声明は地域情勢の項目に「中国に率直に関与し、懸念を中国に直接表明することの重要性を認識しつつ、中国と建設的かつ安定的な関係を構築する用意がある。国際社会での中国の役割と経済規模に鑑み、中国と協力する必要がある」と記し、前文では「デカップリング(切り離し)ではなく、デリスキング(リスク回避)に基づく経済的強靱性と経済安全保障へのアプローチで協調する」とまで記述している。対中ダブルスタンダードではないかとの批判もある。そうだとしても、「協議した課題①平和②協調③アジア④核軍縮の4つに通底するのは中国だった」(木原氏)のは確かだ。▶︎
▶︎他方、対ロシアに関してはウクライナの項目に次のように記した。「国際法の深刻な違反を構成する、ロシアによるウクライナに対する侵略戦争を、改めて可能な限り最も強い言葉で非難する。ロシアによる残酷な侵略戦争は、国際社会の基本的な規範、規則、原則に違反し、全世界に対する脅威である。平和をもたらすために必要な限り、ウクライナへの支持を再確認する」と記した。最大級の激烈指弾だった。
次に、「30時間の滞在中に巧みな外交を展開した」(日本経済新聞)ゼレンスキー氏の広島訪問に至るプロセスを詳述したい。ゼレンスキー氏の最側近であるイェルマク大統領府長官から対面参加の意向を伝えられた松田邦紀駐ウクライナ大使の公電が外務省に届いたのは4月24日。これを受けた岸田氏は翌日、首相官邸に秋葉氏、森健良外務事務次官、山田氏、小野啓一外務審議官・経済担当(首相のシェルパ)と協議した。28日には中込正志欧州局長、北川克郎サミット事務局長が加わり、ゼレンスキー氏招待の意思を明言。G7各国と拡大会合招待8カ国の理解を求めるよう指示した。森氏を司令塔とする外務省は、山田、小野両氏がそれぞれ総合外交政策局、欧州局、経済局から人選した課長級によるチームを結成し、厳しい情報管理を徹底する中、総動員態勢で臨んだ。最後は5月12日に首相公邸で行われた鳩首協議でサミット招待を正式に決定した。もちろん、最側近の木原氏は4月26日を含め岸田氏と差しの面談が多いうえに、5月6日の秋葉、森氏を交えた協議にも出席。そして嶋田隆首相首席秘書官も協議のほとんどに同席した。要は、「ゼレンスキー劇」上演にこぎ着けたのは、首相官邸中核(木原、秋葉、嶋田各氏)と外務省三頭体制(森、山田,小野各氏)の連携が奏功したことによる。まさに岸田外交の面目躍如である。
一方、「支持率急上昇」「株価急騰」など岸田氏にとっての追い風は広島の厳島神社のご利益によるものだと皮肉る向きもある。では自信を深めた岸田氏は胸中で、衆院解散・総選挙の時期をいつ頃と見据えているのだろうか。結論を先に言えば、6月末解散・7月総選挙の可能性はほぼなくなった。その判断に大きく影響したのが、衆院小選挙区の区割りを変更する「10増10減」で候補者調整をめぐる自民、公明両党の協議が決裂したことである。
加えて岸田氏が内に秘めた政治課題に言及したい。日本維新の会は4月の統一地方選と衆参5補選で大躍進を遂げた。ポピュリズムに根差した維新を「チープなナショナリズム」と見なす岸田氏は、同党のさらなる勢力拡大に強い危機感を強め、それを阻止するのが己のミッションと自任する。これらの観点から次期衆院選の意義を考えているが故に、今秋の解散・総選挙に傾いている。その間に国内外の情勢を見極める。7月にNATO(北大西洋条約機構)首脳会議、中・東欧歴訪。9月には主要20カ国・地域(G20)首脳会議や国連総会もある。巨匠ゴッホの言葉「このまま行けと、僕の中の僕が命じるのだ」が岸田氏の本音ではないか。