No.680 7月25日号 先行きが見えない安倍派の行方 

7月23日午前11時,故安倍晋三元首相の納骨式が山口県長門市油谷蔵小田にある安倍家代々の墓所で執り行われた。読経後,場内に文部省唱歌「故郷」が流れて会葬者は「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷」(1番)を唱和した。その後,昭恵夫人は挨拶でこの歌詞に続く3番のフレーズ「こころざしをはたして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷」の件を紹介,父・晋太郎の納骨に際して主人(晋三)と共に「いつの日にか帰らん」を唱和したことが思い出されると語り,一同の涙を誘った。納骨式には安倍の甥・岸信千代衆院議員,後継の吉田真次衆院議員,北村経夫参院議員,安倍晋太郎・晋三事務所の元秘書,安倍の地元後援会幹部,親族ら約120人が参列した。
 当日は昼前に32度の炎天下となり,安倍後援会の伊藤昭男前会長が熱中症で緊急搬送されるハプニングもあった。昼過ぎには近くにある「楊貴館」で親族・関係者が昼食を取り,午後1時30分から油谷地区の文化会館「ラポールゆや」で偲ぶ会が催された。生前の写真が展示された会場に同地区の住民らも献花に訪れ,午後2時半ごろ閉会となった。出席者は約300人。ここでも昭恵夫人は謝辞の中で改めて「父・晋太郎さんと同じ墓に入って一緒に安らかに眠ると思います」と述べた。7月8日に東京・芝公園の増上寺で営まれた一周忌法要,そして23日の納骨式を終えて平成から令和の2代に及んだ「安倍時代」は終止符が打たれたことになる。▶︎

次なる関心事は自民党最大派閥の清和会(安倍派)の新体制発足(=新会長選出)に向けた現在の混迷状況をいかにすれば打開できるのかの一点に絞られた。「派閥の適正規模は100人までだ」と言っていたのは他ならぬ安倍である。「安倍1強」と言われた首相在任時でも,自身に近い議員を他派閥に送り込むなど規模感の維持に細心の注意を払っていた。そのため,存命時に安倍派が100人以上になったことはない。
 だが,安倍が凶弾に倒れてから今年の4月には同派所属の衆参院議員は100人に達した。一周忌を過ぎても派閥領袖を決められず,いまだに「安倍派」から抜け出せない。会長不在が続く同派は,20日に予定していた幹部会合と新体制を協議する総会は開催2日前の18日に事務総長の高木毅自民党国対委員長名で急きょ所属議員に中止を伝える文書が届けられた。13日に開催予定だった会合の延期に続く中止決定である。そもそもは派の中枢を担う萩生田光一政調会長,松野博一官房長官,西村康稔経済産業相,高木国対委員長,世耕弘成参院幹事長の「5人衆」による集団指導体制派と,会長代理の塩谷立・元総務会長,下村博文元政調会長2人の早期会長決定派が鋭く対立してきたことにある。
 こうした抜き差しならぬ対立の中で,同派参院清風会(40人)を束ねる世耕が高木に20日会合の中止を進言したことも影響した。中止決定翌日の19日夜,実は塩谷と「5人衆」との夕食会が東京・銀座の料亭「新ばし金田中」で催された(西村はインド出張で欠席。下村には声が掛からず当夜は4+1会合)…(以下は本誌掲載)申込はこちら