8月18日昼(米東部時間・日本時間19日未明)から首都ワシントン郊外のキャンプデービッド(Camp David。大統領山荘)で行われた日米韓首脳会談は,『朝日新聞』(20日付朝刊)2面見出しに「前のめりの米,日韓のズレに懸念も」とあるが公正を期して言えば,中長期的に我が国にとって成功だったと言うべきであろう。1978年9月の「キャンプデービッド合意」(当時のカーター米大統領がイスラエルのベギン首相とエジプトのアサド大統領を同地に招き,都合4回に及んだ中東戦争の歴史的和解を実現)に匹敵するとまでは言わない。
だが,後世の歴史家が高く評価することは疑いない。ジョー・バイデン大統領が岸田文雄首相と尹錫悦大統領をCDに招いて行われた日米韓首脳会談は米海軍が管理・運営するCD敷地内の「ローレルロッジ」での全体会合と別棟の「アスペンロッジ」でのワーキングランチの2部構成だった。ホワイトハウス記者団はもとより日韓両首脳同行記者団も敷地内の立ち入りを禁じられた上にCDの施設名,ロッジ内の会談席次などの基本情報は一切公表されなかった(ホワイトハウスは首脳会談出席者名簿をプロトコル順で発表しただけ)。▶︎
▶︎従って,記事中の見取り図は本誌が独自取材で得た情報を基に作成したものだ。因みに首脳共同記者会見はCD正面ゲートの広場で実施された。そもそもCDは市販の地図やガイドブックにも記述されていない。かくも保秘体制が徹底しているのは大統領警護に深く関わるからだ。
本題に入る。バイデンは2021年1月の政権発足当初から日米豪印4カ国の枠組み「QUAD」と同レベルの日米韓3カ国の枠組みをクルマの両輪とするインド太平洋戦略構築を模索していた。だが,この間の日韓関係の悪化によって22年5月の尹保守政権誕生まで待たなければならなかった。
状況が一転したのは秋葉,金泰孝の水面下での交渉を通じて日韓首脳のシャトル外交が実現したことによる。加えて,5月のG7広島サミットにウクライナのゼレンスキー大統領が緊急参加したことで予定していた日米韓首脳会談の延期を余儀なくされたが,エマニュエルがバイデンに直談判して岸田,尹両首脳招待の実現に寄与したことが大きかった。全体会合で米側のひな壇はバイデンの右隣にブリンケン,左隣がレモンドであり,日本側が岸田を中心に左が林,右は木原である…(以下は本誌掲載)申込はこちら