永田町の景色が一変する――。自民党最大派閥・清和会(安倍派・所属国会議員99人)の政治資金パーティー収入の裏金(キックバック)疑惑で、東京地検特捜部(伊藤文規部長)は政治資金規正法(不記載・虚偽記入)容疑で同派の強制捜査に踏み切る。憲政史上、首相在任最長の通算8年8カ月に及んだ安倍晋三首相に象徴される「清和会支配」に終止符が打たれた。 今や新聞紙上にも「安倍派潰し」、「安倍派切り」といった表現が定着するほど同派の組織ぐるみの裏金づくりに対する国民の視線が厳しいことの表われである。この間の安倍派の政治資金パーティー券収入を巡る問題で、岸田文雄首相が採った主たる対応をお浚いする。岸田氏が初っ端に頼ったのは自民党の麻生太郎副総裁だ。党内第2派閥・志公会(麻生派・56人)を率いる麻生氏は、第3派閥・平成研(茂木派・54人)領袖の茂木敏充幹事長と共に岸田政権を支えてきた。12月9日夜、岸田氏は麻生氏を首相公邸に招き、夕食を交えて閣僚・党役員の刷新人事を含め対応策を2時間余協議した。翌10日午後から夕方にかけて面会した相手は以下の通り。萩生田光一自民党政調会長(安倍派)→森山裕総務会長(森山派)→宮澤洋一税制調査会長(岸田派)→茂木幹事長→木原誠二幹事長代理(岸田派)。萩生田氏は東京・虎ノ門のホテルオークラのスイートルーム、森山、宮澤、茂木、木原の各氏が首相公邸。
ただ、「首相動静」は岸田氏は同日午前にホテルオークラで「首相秘書官らと打ち合わせをした」と記述されているが、実は麻生氏と前日夜に続いて会談したとの未確認情報があった。さらに「首相動静」に記述されていないが、同午前に世耕弘成参院自民党幹事長(当時・安倍派)の専用車がホテル駐車場で目撃されたとの情報もあり、同氏とも面会していたことは間違いない。そうであれば、岸田官邸は秘匿したい理由があったことになる。正直いって、なぜ萩生田氏がOKで世耕氏はNGだったのか、見当がつかない。当時のメディア各社の関心が「安倍派一掃」(岸田政権の閣僚4人、副大臣5人、政務官6人の計15人)に集中していたことから、両氏が岸田氏に少なくとも政務官3人(衆院1人、参院2人)はパーティー券販売の還流が0円であり、疑惑の対象にならず強行すれば「排除の論理」になると強く反発したことになる。▶︎
▶︎因って岸田首相は12日早朝、両氏に電話で「15人一掃はしない」と伝えた。そして14日、松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、鈴木淳司総務相、宮下一郎農水相の辞表を受ける形式にして、それぞれを林芳正官房長官(岸田派)、齋藤健経産相(無派閥)、松本剛明総務相(麻生派)、坂本哲志農水相(森山派)に交代させる陣立てとなった。だが、後任官房長官人事を巡る岸田官邸サイドの迷走ぶりが朝日新聞(14日付朝刊)にスッパ抜かれたように、岸田氏の求心力低下が白日の下に晒された。12日夕方に、「浜田靖一元防衛相(無派閥)が官房長官打診を固辞」情報が永田町を駆け巡ったのだ。
しかも同紙によると、首相使者として浜田氏を訪れて官房長官就任を要請したのは現在も最側近の木原氏であったというのだから、官房長官人事迷走のマイナスイメージを強めた。岸田官邸が浜田氏以外にも加藤勝信前厚生労働相(茂木派)、梶山弘志幹事長代行(無派閥)、さらには齋藤経産相(同)の起用を検討していたのは周知の事実である。因みに齋藤氏を推したのは嶋田隆首相首席秘書官だとされる。最後は自派ナンバー2の林氏で決着したが、「ブレることにはブレがない」とまで揶揄される岸田氏の“本領発揮”であった。事ここに至って党内に「もはや沈むのが目に見えている泥舟に乗る者はいない」といった見方が喧伝される所以である。
では、岸田氏に先行きの展望がないのか。答えは否である。そもそも自民党が直面する危機的な状況下で党内に「岸田降ろし」を鮮明にする人物・勢力がいない。ポスト岸田の「小石河」の一人である石破茂元幹事長が「来年3月の24年度予算成立後の内閣総辞職の可能性」に言及したことには驚かされた(11日夜のBSフジ「プライムニュース」)。ノー天気の極みである。それはともかく、岸田氏は「火事場泥棒」ならぬ火消し「め組の辰五郎」になれるのか、まさに正念場なのである。大火事は強風が続き3月まで鎮火することはない。