岸田文雄首相再選戦略で唯一の使える「武器」だった今国会中の衆院解散・総選挙が事実上封じられた。当初,自公(プラス維新)で過半数を維持し,秋の自民党総裁選に臨めば「ポスト岸田」候補を蹴散らすことが出来るというのが岸田の算段だった。そのシナリオが地方選に負け続けて「今,選挙したら下野するしかない」とようやく気付いた。岸田がとりわけショックを受けたのは,地元の広島1区の府中町長選(5月26日投開票)だろう。自民,公明,連合広島から推薦を受けた前町議が無所属新人にダブルスコアに近い票差で負けた。岸田の長男で秘書,翔太郎も出陣式で「文雄の代理で来ました」とエールを送った選挙だ。現職首相にとってお膝元の首長選で負けるほど堪えるものはない。いかに楽観主義者でも「事態はそこまで来ていたのか」と悟る。
実は昨年11月,岸田の地元・海田町長選でも自民推薦の現職が敗れている。府中,海田の両町とも区割変更に伴い岸田の選挙区である衆院広島1区に新たに加わった。牙城のはずの地元で2連敗,現職首相が衆院選中,地元に入りするのは投票日前の1日か,全く入らず秘書任せか,どちらかである。▶︎
▶︎それほど首相は地元の首長選に強いというのが当たり前になっている。菅義偉前首相は地元・横浜市長選で腹心の小此木八郎元衆院議員が落選したことが総裁選出馬取りやめの理由の一つになった。秋田県内のイチゴ農家の長男だった菅が上京して小此木彦三郎元通産相の秘書から政治家人生をスタートさせる。八郎は彦三郎の3男で「菅さんは家族同然だった」と証言している。現職首相の地元での「負け」は回復不能に近い打撃となる。プロ野球の故野村克也監督ではないが「勝ちに不思議の勝ちあり,負けに不思議の負けなし」がそのまま当てはまりかねない。斯くして朝日新聞(6月4日付1面トップ)の「今国会の解散見送り」,読売新聞(5日付1面トップ)の「解散 総裁選以降に」,北海道新聞(6日付1面トップ)の「岸田文雄首相,内閣改造検討 今国会での解散は見送り」と3日連続で,9月総裁選までの解散・総選挙はないとする報道が続いた。
こうした中で菅が動いた。自民党神奈川県横浜市連の定期大会(4日)で,菅に近い佐藤茂会長が「現在は2009年の政権交代に匹敵する党の危機であり,政治資金規正法改正案が成立したら総理自らが責任を取り,身を退く決断をして頂きたい」と語った。来賓の県連会長である小泉進次郎元環境相を前にしての発言だ。「岸田おろし」の狼煙第1弾である。次は「KHT」と呼ばれる加藤勝信元官房長官,萩生田光一元文部科学相,武田良太元総務相(其々菅政権時代の閣僚)。2003年11月総選挙初当選組でもある3人が定期的に行っている会合に今回(6日夜),菅と小泉が加わり東京・麻布十番の寿司店「おざき」で催された。同席で5人は「もはや岸田内閣は死に体である」との認識で一致したという。菅が招集した。これが狼煙第2弾だ…(以下は本誌掲載)申込はこちら