7月上旬、報道各社世論調査の内閣支持率及び自民党支持率は共に微増ながら上昇トレンドにあった。しかし、各社調査結果に共通したのは岸田文雄首相の総裁任期である9月30日までに退陣を求める声が5割を上回っていたことである。
それ故に国民に不人気な岸田氏の下では次期衆院選を戦えないとする当選4回以下の自民党中堅・若手140人がほぼ一致して新しい「選挙の顔」を求める切実な声と国民のそれが見事にハモったのだ。従って、当時の永田町の最大関心事は、岸田氏が飽くまで自民党総裁再選を目指して出馬するのか、それとも衆院議員全体の4割を占める4回生以下の過半の求めに応じて立候補断念するの、いずれなのかに集中していた。
即ち、岸田総裁の去就である。その時期に筆者が編集・発行するニュースレター「インサイドライン」(7月10日号)に、「再選に拘泥しない」と「再選を諦めていない」の両説がある岸田氏の胸中を推し量って孔子の言葉「君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る」を引き、同氏の心境を表すのに相応しいと書いた。何と首相官邸側から素早い反応があったのだ。曰く、確かに(岸田)総理は窮している。だけどそこは小人と違い、乱れず(目標に向かって)主戦論で臨んでいます。動じていません――。
さて、岸田氏は8月14日午前の記者会見で、想定外の不出馬表明を発出した。筆者は驚きを隠せなかった。ともあれ現在、9月12日告示・27日投開票の自民党総裁選は前哨戦というよりも真っ只中にある。「自民党を根底から刷新する」、「政府・与党幹部の世代交代」、「派閥の実質的な解体」などのスローガンはこれまでの総裁選挙ではついぞ見たことがなかった。その意味では岸田氏の退き際はドンピシャだった。たとえ実相が総裁選で勝っても次に控える衆院選と参院選は自分が「選挙の顔」であれば自民党は敗北して政権交代を余儀なくされるとの判断だったにせよ、である。▶︎
▶︎そこで再び岸田氏の今現在の心象風景を表現するべく、中国文学の最高権威者の手に成る『吉川幸次郎全集第5巻(筑摩書房)』を繰って孔子の言葉を渉猟してみた。そして見つけた。「顔淵」第十二の「子曰わく、之れに居りて倦む無く、之を行のうに忠を以てせよ」に向き合った。吉川解釈を忖度すると、政治の要諦は倦怠のない持続であり、実行に当たっては人々への忠実(真心)である、と。孔子は七十(歳)のころ放浪を終えて祖国・魯に帰り首相・季康子に求められて助言したと、解説にある。退陣会見で吹っ切れたとされる岸田氏の今の胸中を表すに相応しいだろうか。官邸から改めての反応を待ちたい。
次は、肝心要の自民党総裁選の先行き見通しである。結論を先に言うならば、次期総裁候補に11人が名乗り上げる前代未聞の総裁選となった。従前のように派閥領袖のボス交やディール(取引)で総裁は決まらなくなった。後講釈と言われようが、あのタイミングで岸田氏が不出馬表明を発出した意義は大きい。もはや後戻りできない。因って今総裁選は知名度抜群の政治家4代目・小泉進次郎元環境相(衆院当選5回・43歳)とエリート臭を感じさせない超エリート・小林鷹之前経済安全保障相(4回・49歳)の一騎打ちとなる可能性が高い。出馬会見に同席した当選4回以下の24人(例外1人)には司会を務めた武部新氏を始め、大野啓太郎、福田達夫、鈴木英敬、塩崎彰久氏ら極めて優秀な中堅・若手が蝟集する小林陣営。
一方、小泉陣営の国会議員は当選同期の「四志の会」(齋藤健経済産業相、小泉氏を含め4人)以外に名前が殆ど挙がらない。結局、菅義偉前首相直系「ガネーシャの会」(会長=坂井学・元官房副長官)の約15人が推薦人として名前を連ねることになる。そうは言っても総裁選は本質的に権力闘争であり、出走者(馬)はもとより参加者(馬券を買う人)は「勝ち馬に乗る」が基本である。従って、小泉氏は中身(政策)が無いスッカラカンと言って揶揄したところで、所詮第1回投票で1、2位になれば決選投票は雪崩を打って断トツ当選も十分にあり得ると、見る向きが多いのではないか。何はともあれ、戦う張本人と支援者だけでなく取材する側も従来の「常識」では測れない総裁選を経験している。言わば未体験ゾーンに突入したのだ。結果良ければ全て良し、である。