高市早苗首相の官邸スタッフと閣僚人事は、自身の強い意向が反映している。これまでの自民党中心の政権における慣習や常識を覆す異例人事が少なくない。「高市人事」と言っていい。具体例を挙げて説明する。先ずは高市政権の要となる木原稔官房長官(衆院当選6回・旧茂木派)。高市氏が10月7日の自民党執行部人事で、親台湾派議連の日華議員懇談会(日華懇)会長の古屋圭司元国家公安委員長(衆院12回・無派閥)を自民党選対委員長に抜擢したのは仰天人事とされた。なお、木原氏は日華懇事務局長。旧安倍派の萩生田光一日華懇幹事長が自民党幹事長代行、麻生派の有村治子副幹事長は総務会長に起用された。
実は、第1次岸田文雄内閣(2021年10月発足)の高市自民党政調会長時の会長代行が古屋氏であり、副会長(事務局長)は木原氏である。高市・古屋・木原ラインだ。そもそも第4次安倍第2次内閣(19年9月)の総務相当時、木原氏は首相補佐官であり、派閥を超えて保守派中堅の有望株と目を付けたという。事実、21年9月の自民党総裁選に初めて挑戦して岸田氏に敗れたた際、木原氏は高市候補の推薦人になっている。古屋氏が高市氏の「精神安定剤」であり、木原氏は高市氏と政治理念や信条を共有する「同志○○よ!」である。そして高市氏は第4次安倍改造内閣の18年10月、女性初の衆議院議院運営委員長に就任した。超勉強家の政策通であるが政局観に乏しいとされる同氏は、当時、同衆院議運の野党側委員だった日本維新の会の遠藤敬国対委員長(当時・衆院3回)の豊富な与野党人脈に助けられた。この遠藤氏との出会いが今回の自維連立政権誕生の起点となったことは周知の通りだ。よって同氏は異例人事の国対委員長兼務で、首相補佐官に抜擢された。26年間の自公連立政権時代でも、公明党議員が官邸入りしたことは無かった。
因みに高市議運委員長時代の筆頭理事は、石破茂政権で経済再生相を務めた赤澤亮正経済産業相(衆院7回・石破グループ)である。高市氏の前任委員長は、再び古屋氏。官邸上級スタッフ人事で最大の異例人事は、首席首相秘書官の飯田祐二前経済産業事務次官(1988年旧通産省)を別にすると、首相事務秘書官6人より年次が上の茂木正経産省官房政策立案総括審議官(92年旧通産省)が木原官房長官秘書官(事務)に起用されたことだ。首相事務秘書官の最シニア、吉野維一郎前財務省主計局次長兼企画調整総括官(93年旧大蔵省)より1年上である。霞が関の常識を逸脱するものだった。
これも高市氏直々の人事である。茂木氏は、高市経済産業副大臣時代(08年8月~09年9月)の副大臣室総括主任を務めた。爾来、高市氏は数少ない経産省人脈のコアメンバーとして茂木氏を大切にしてきた。だからこそ今回、茂木氏を敢えて首相側近グループを束ねる木原氏のために官邸に送り込んだ。石破官邸が機能不全に陥ったのは、2人の首相政務秘書官の「脆弱さ」に起因するとされた。
だが、飯田首相政務秘書官は、「安倍3.0」を目指す高市氏が安倍長期政権最大の功労者の今井尚哉首相補佐官(当時、現内閣官房参与・82年旧通産省)から推挙された。と同時に経産副大臣当時、すでに飯田氏が経済産業政策局産業再生課長として際立つ存在であることを承知していたとされる。首相事務秘書官最若手の有田純前防衛省整備計画局防衛計画課長(99年旧防衛庁)も首相の名差し人事だ。第2次岸田第1次~第2次改造内閣の経済安全保障相時代(22年8月~24年10月)の大臣秘書官が有田氏である。 最後に指摘すべきは、元国家安全保障局(NSS)局長の秋葉剛男内閣特別顧問(元外務事務次官・82年外務省)の存在である。高市氏は政調会長在任中に、外務省北米局審議官、国際法局長時代の秋葉氏に外交・安保政策の助言を求めたのがファーストコンタクトだったという。外交安全保障政策の司令塔NSSの岡野正敬局長(87年外務省)が退任し、後任に市川恵一前官房副長官補兼NSS局次長(89年同)が指名された人事も、官邸幹部ですら知らされたのは、組閣前々日の夜だった。この仰天人事は、秋葉氏が総裁選4日後の8日夕に自民党本部で高市総裁と差しで約1時間協議した際に進言したとされる。高市首相の24日に予定される所信表明演説に、防衛費増を視野に入れた安全保障関連3文書(「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」)の前倒し改定を盛り込む。もちろん、27日に来日するドナルド・トランプ米大統領への対応である。22年末当時、秋葉NSS局長が中心となり、主に増田和夫防衛省防衛政策局長(現内閣危機管理監・88年旧防衛庁)と一松旬財務省主計局主計官(総務課担当、現主計局次長・95年旧大蔵省)の協力を得て同3文書を策定した。どうやら安倍政権を支えた秋葉、今井両氏が高市政権の表と裏それぞれで戦略アドバイザーの役割を担うことになりそうだ。
