政権発足から1カ月も経っていないが、報道各社の世論調査で相次いで60%台後半から70%超の高い内閣支持率を維持する。衆参院予算委員会での首相答弁は率なくこなすだけでなく、時折アドリブを交える余裕を見せる高市早苗首相に死角はないのか――。
死角はある。敢えて政権瓦解リスクを挙げるとすると、高市氏の「頑固さ」である。それは、官邸人事に見て取れる。高市官邸の中枢は、2人の首相政務秘書官と6人の首相事務秘書官がコアグループ。そこに首相の最側近である木原稔官房長官を中心とする尾崎正直、佐藤啓両官房副長官(政務)、露木康浩官房副長官(事務)の正副官房長官4人が要路を占める。さらに松島みどり(自民党・衆院当選8回)、井上貴博(同衆院5回)、遠藤敬(日本維新の会・衆院5回)、尾上定正(元航空自衛隊補給本部長・空将)、宇野善昌(前復興庁事務次官)の首相補佐官5人が首相を支援する。通常国会会期中の現在、バッチ組の首相補佐官は毎日ほぼ2回、官邸と国会を行き来する。実は官邸中枢人事を巡り、官邸側と自民党執行部の間で対立があった。参院の官房副長官(政務)人選だ。元総務官僚の佐藤氏(参院奈良当選2回・旧安倍派)は、昨年来の政治資金収支報告書不記載問題がクリア出来ていないことから、参院自民党の石井準一幹事長は国会対応上の不安材料になるとして強く反対した。
そして同じ総務省出身であり、同じ選挙区で旧安倍派の堀井巌氏(当選3回)が7月選挙で「禊」も済んでいるとして参院自民党の総意として推した。だが、頑固な高市氏は「佐藤じゃないと嫌だ」の一点張りで押し通した。高市人事に共通するのは、高市氏がかつて総務相、経済安全保障相、党政調会長などを歴任時に、大臣時代の秘書官、印象に残った省庁幹部、3回挑んだ総裁選時の同志など、緊密な「接点」を持った人物(官僚や政治家)を登用している。首相秘書官(事務)中最も若い有田純氏(防衛省)は最年長の吉野維一郎秘書官(財務省)より6年も年次が下だ。高市氏は経済安保相時代によほど気に入ったようで、首相秘書官人事で最初に決まったのが有田氏だった。先述の「有田じゃないと嫌だ」方式である。こうした人選で霞が関を震撼させたのは、年初1月20日付で秋葉剛男前国家安全保障局長(現内閣特別顧問・1982年外務省)の後任に就いた岡野正敬前外務事務次官(87年)が首相の鶴の一声で退任、駐インドネシア大使が10月16日付で発令されていた市川恵一前官房副長官補兼国家安全保障局次長(89年)に差し替えたことだ。わずか9カ月で交代である。岡野氏は北米局審議官、国際法局長、総合外交政策局長、官房副長官補兼国家安全保障局次長、外務次官を歴任したスーパーエリートだ。仄聞しているところによれば、高市首相が「岡野は暗い。ネアカが欲しい。安倍(晋三元首相)さんのFOIP(自由で開かれたインド太平洋構想)を手掛けた市川がいい」と、上位官僚人事に影響力を持つとされる人物に直訴したというのである。事実であれば、ドナルド・トランプ米大統領と殆ど一緒だ。高市早苗首相はどうやら頑固の上に、好き嫌いがハッキリしているようだ。▶︎
▶︎さらに自ら決めたポリシーラインに揺らぎがない。日中外交当局間の「口撃戦」のトリガー(引き金)となったのは、7日の衆院予算委員会の高市首相答弁だった。立憲民主党の岡田克也常任顧問が、中国による台湾有事の際、どのような場合に集団的自衛権を行使できる存立危機事態になるのかと質した。高市氏は「戦艦を使い、武力行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースだと考える。個別、具体的な状況に応じて、政府が全ての情報を総合して判断する」と答弁。首相はほぼ同じフレーズを岡田氏に2回繰り返した。従前からの持論であるが、首相答弁は別ものだ。ここがまさに高市氏の真骨頂なのだ。事前の秘書官らとの官邸(公邸)での協議を通じて仕上がった首相答弁ドラフトを赤坂の議員宿舎に持ち帰ってさらに赤入れするのが高市流である。確信犯なのだ。敢えて踏み越えてみせたと理解すべきだろう。 筆者は過日、一連の首相答弁を話題に来日中の米国の経済ジャーナリストと酒食交えて意見交換した。筆者が、高市氏が政権発足1カ月経たずして一線を越えたことに懸念を繰り返すと、次のように言った。「She is clever but not bright(彼女は賢い。だけど聡明ではない)」。彼の真意は、小賢しさも政治リーダーに求められる資質かもしれないが、一国のネーションリーダーには聡明さが必須であると言いたかったようだ。
なぜならば、次にそのジャーナリストが持ち出したのは高市氏が敬して止まないマーガレット・サッチャー元英首相であった。曰く、11年間の長期政権を誇る中で国有企業の民営化、規制緩和、金融システム改革などを成し遂げたサッチャー氏を新自由主義の旗手と讃えるが、実際は失業率が倍増して小さな政府の象徴だったマネタリズムを放棄し、リフレーション政策を導入している。要は、変節したのだ。そして彼の話の肝は、1982年3月の南大西洋の英国が実効支配してきたフォークランド諸島にアルゼンチン軍が侵攻したことからサッチャー首相の決断で英艦隊・爆撃機を派遣して戦火が切って落とされた紛争である。2カ月間の激しい戦闘は米軍の協力を得てアルゼンチン軍を放逐した。
もちろん、彼女は英雄となった。件の米国人の知己はこう断言した。「間違いなくタカイチの頭の中には、サッチャーが試みたフォークランド成功体験が刻まれているはずだ」。brightではない国家指導者は危うい、というのである。先の衆院予算委員会答弁後の土、日曜の週末に、高市首相の元に内閣官房参与の今井尚哉元安倍首相補佐官から「やり過ぎじゃないか」と窘める電話が入ったという。
