近代社会学の創始者、マックス・ヴェーバーは、1919年にドイツで行った講演記録『職業としての政治』(岩波文庫)の巻末を、次の言葉で結んだ。<現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そいう人間だけが政治への「天職」を持つ>。さらに続く。<情熱は、それが「仕事」への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な基準となった時に、はじめて政治家をつくり出す。そしてそのためには判断力―これは政治家の決定的な心理的資質である―が必要である。…政治への献身は情熱からのみ生まれ、情熱によってのみ培われる。…だから政治家は、自分の内部に巣くうごくありふれた、あまりにも人間的な敵を不断に克服していかなければならない。この場合の敵とはごく卑俗な虚栄心のこと……>。ヴェーバーは政治家に必要な資質として「情熱」「責任感」「判断力」の3つを挙げる。
なぜ今、この古典を引用するのか。もちろん理由がある。高市早苗首相は衆議院選挙の公示日(1月27日)に東京・秋葉原を皮切りに、福島など4か所で演説したが、そこでまったく触れなかった政策がある。消費税減税だ。これには驚いた。首相は解散を表明した1月19日の記者会見で、消費税減税を「私自身の悲願」と位置付けた。26日の7党首討論会では飲食料品の消費税を2年間ゼロにする目標時期として「(2026)年度内」を明言。翌27日夜のNHK番組では、財源についても「2年間限定であれば、特例公債(赤字国債)に頼らなくても確保できる」と踏み込んだ。首相が大見得を切った公約なのに、なぜ公示日の演説で触れなかったのか。さまざまな解釈がある。曰く、首相に対しアンチ勢力が大声を上げたので熱くなり、国旗損壊罪を刑法に盛り込むべきだと主張するなど、想定外の対応をしたため触れる時間がなくなった。曰く、減税実施時期まで踏み込んだ発言に自民党内の異論が広がり、選挙後の国会運営に支障を来すとの懸念から減税言及を差し控えざるをえなかった。真相究明はおく。
どうやら高市氏自身の「政治家としての三つの資質」と関係がありそうだ。高市氏の集中力には定評がある。首相公邸に移る前、議員宿舎にこもって政策作りに傾注する同氏に、永田町関係者が畏敬の念を持った。公邸入り後も生活はほぼ変わらない。睡眠時間は平均3時間、朝食はバナナ2本と生ジュース、昼食抜きも多い。公務がなければ夕食は生協の宅配セットで済ませる。かくもストイックなのはヴェーバー流に言えば、「情熱」と「責任感」に満ちあふれているからだ。▶︎
▶︎ところで三つ目の「判断力」は、ここまでの検証でも見て取れるが、はたして高市氏に備わっているかとの疑念を払拭できない。先述の「虚栄心」はこう続く。<…自分というものをできるだけ人目に立つように押し出したいという欲望のことで、これが政治家を最も強く誘惑して、二つの大罪の一方または両方を犯させる>。何を言いたいのか、という声が聞こえそうだ。
具体例を挙げよう。自民党の鈴木俊一幹事長は、高市首相の通常国会冒頭での衆院解散意向を読売新聞のスクープで知った。昨秋の自民党総裁選挙での勝利に多大な貢献をした麻生太郎副総裁にも事前の相談はなかった。権力者が孤独の決断を求められることは否定しない。永田町では高市氏の秘密主義は周知のとおり。解散決断について、事前の相談があったのは木原稔、尾崎正直、佐藤啓の正副官房長官3人だけだ。高市政権の1丁目1番地である「日本成長戦略会議」を担う城内実経済財政担当相、「責任ある積極財政」を仕切る片山さつき財務相ですら知らされていなかった。経済産業省出身の今井尚哉内閣官房参与(元安倍晋三首相政務秘書官・首相補佐官)と佐伯耕三内閣広報官(安倍首相当時のスピーチライター)の非議員2人は例外である。今井氏が昨年12月上旬時点で「内閣支持率が高いうちの(26年)年初冒頭解散」を首相に進言していたという。
さらに佐伯氏は高市官邸の23日解散意向を官邸詰めの読売新聞記者にリークしたとされる。今井・佐伯ラインが早期の衆院解散・総選挙による短期決戦ムードを加速させた可能性が高い。高市氏は、安倍官邸の黒衣だった今井氏が7年8カ月に及んだ長期政権下で実施された国政選挙(衆院選2回と参院選3回)まで差配していたことを、安倍側近として現認していた。この「常勝体験」が同氏を傍らに置くべく内閣官房参与に招請した理由である。では、高市氏の秘密主義は「判断力」に負の影響を与えるのか。注視すべきは、首相自身が公約した消費税減税に公示日の演説で言及しなかった理由である。衆院解散表明直前、アメリカの有力市場関係者からメッセージが届いた。高市政権は選挙後直ぐに26年度当初予算成立を目指す必要があり、消費税減税を追加する大幅な予算修正の余裕などないはずだ、現実的な選択を期待する、と。リフレ派の経済政策提案はマクロ経済のファンダメンタルズと乖離しており、高市氏との関係も「政略結婚」にすぎない。米市場関係者のメッセージは、早期成立を優先すべきだという警告と受け取れる。高市氏は判断に迷うだろうが、それを判断力の欠如とはいえない。リアリストであるならば、虚栄心に流されず、市場の警告を受け入れる選択をするはずだ。自民党は衆院選で単独過半数獲得の勢いがあると報じられている。それだけに選挙後の政権運営では、消費税減税をめぐる高市氏の判断力が厳しく問われることになる。
